「やる気のない学生とはお茶を飲め」の深い意味 欧州出身の私が学んだ日本における「いい先生」

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私はとても驚いて、学生たちに尋ねた。「なぜ、150社にコンタクトするのに3カ月かかり、最後の50社にコンタクトするのに2時間しかかからなかったのか?」。彼らの答えは、「一緒にお茶して、教授がいい人だとわかったので」ということだった

彼らの返答は私にとってあまり意味が通じないものだったが、日本人の同僚は、日本のチームでは個人的な関係が最も重要であると説明してくれた。学生たちは、お金のためだけでなく、好きな人のために働くことにやりがいを感じていた。情緒的な権力が成功のカギだったのである。

日本では「ただ教えるだけ」ではダメ

この会話の後、私は自分のリーダーシップや指導に対する考え方が、非常にヨーロッパ的なものであることに気が付いた。私は、極めて高い専門性を持って学生を指導し、学習プロセスを導くことが仕事だと考えていた。あまりに個人的な関係は、学生を不当に判断し、授業の成功の妨げになる可能性がある。

ドイツ語には、「Dienst ist Dienst und Schnaps ist Schnaps!(仕事は仕事、酒は酒)」ということわざがある。これは、仕事とプライベートは分けて考えるべきだという意味である。

しかし、日本の大学は、たんに教えるだけでなく、安定した適切なコミュニティを作り、若者が社会に溶け込むのを助ける幅広い目的を持っている。そのため、日本の大学では、教授と学生が良好かつ、長期的な関係を築き、教授がより個人的な指導を行うことが期待されている。

「ただ教えるだけ」では、日本ではむしろプロフェッショナルではないと見られる。大学の役割は、教育者としてだけでなく、日本社会の主要な柱としての役割を果たしている。

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