「親との関係」大人になっても悩む人がハマる心理 お互いの心が「癒着」してしまう事は何が怖いのか

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長いあいだ、親の価値観を押しつけられたり、やりたいことを否定されたりしていると、子どもはある気持ちを強く抱くようになることがあります。

それが『認めてもらいたい』という気持ちです。

本来、子どもは親に守られて生きる存在でした。ここで言う子どもとは、生まれたばかりの赤ちゃんや幼児のことを指しています。

親から養ってもらわなければ死んでしまうかもしれません。危険なことから守ってもらえなければ傷ついてしまうかもしれません。優しくしてもらえなければ生まれてきたことの意味がわからなくなってしまうかもしれません。

ようするに、愛されなければ生き抜いていくことができず、だからこそ人間の生存本能として親に承認されたいという感覚を抱くようになり、『認められたい』という気持ちを作り出そうとします。

健康的な心理状態の親であれば、子どもは認められたいと思う前に認められるという状態になることが多いので、そこまで強い承認欲求を抱く必要がありません。

したがって、子どものほうからも親に癒着するということもなく、錯覚を信じ込むということもなく、癒着の反対である『分離』という状態に向かっていって、自然と「親は親、私は私」という感覚が身についていくことになります。

しかし、親が不健康的な心理状態で、重度の癒着状態であるなら、子どもは親といつまでも分離できずに認められようとしてしまいます。

そんなときに起こるのが、親に認めてもらおうとして自己犠牲をして、親の依存を受け入れるという現象です。

親の心の動きが自分の心の動きであるかのように

自己犠牲をしている状態とは、親が喜びそうなことをやり、親が不機嫌になりそうなことはあきらめ、まるで親の心の動きが自分の心の動きであるかのように錯覚して行動することです。

自己犠牲をしている子どもは、親が満足しそうな人間関係を持ち、親が喜びそうな学校に通い、親が安心しそうな職業を選ぼうとします。そうやって、親の気分を良くしようとするわけです。

それをしていると、親も自分の力で生きようとしなくなることがあります。不機嫌にしていれば子どもが都合よく動いてくれるので、親は自分で考えて決めるということをしなくなり、親の責任を子どもに押しつけるとか、親の人生なのに親自身が努力しない代わりに子どもに努力させて頼りかかろうとするような心理=依存心が強くなっていきます。

そして、子どもがその依存心を受け入れて、時には親に喜んでもらえることもあるので、認めてもらえて嬉しいと、また錯覚を覚えてしまって悪循環から抜け出せなくなっていきます。

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