やると決めれば、大久保の実行力がたちまち発揮される。開戦と同時に大規模な兵を投入すべしと、大阪、広島、熊本、名古屋、東京、仙台で兵を募集。さらには近衛軍まで動員し、4万1300人あまりを集めた。加えて、北海道の屯田兵500人、新兵1万3900人あまりを投入。結果的には7万もの兵を戦地へと送り込み、約1万3000人の西郷軍を圧倒している。
最大の激戦地「田原坂」において、当初は西郷軍が優勢だったが、徐々に戦況は変わっていく。それは単に大量の兵が投入されたからではない。3月11日に警視隊による「抜刀隊」が組織されると、彼らが積極的に西郷軍に斬り込んでいき、大きな戦果を挙げた。
というのも、抜刀隊の主力は、鹿児島の「郷士」(武士階級の下層に属する身分のこと)出身の巡査たちだ。彼らは今まさに対峙している城下士たちから、旧藩時代に「郷の者」と差別されてきた過去を持つ。明治維新後も両者の溝は埋まらなかった。積年の恨みをはらす絶好の機会に、抜刀隊は官軍として西郷軍を斬りまくったという。
官軍の兵士と西郷軍の兵が一緒に休憩
だが、お互いがお互いを「賊」と呼び、薩摩人同志が戦うことが多かった西南戦争には、むなしさがつきまとう。当時のことを官軍の川口武定は『従征日記』に記録している。
4月10日にはこんなことがあったという。官軍の兵士が1人の西郷軍の兵にこう語りかけた。
「銃を撃つのに疲れてきた。しばらく休憩にしないか。こちらには、酒や餅もあるぞ」
呼びかけられた西郷軍の兵が「餅を少し恵んでくれ」と返すと、官軍の兵士は餅を半分ちぎって、西郷軍の兵に投げ与えたという。
いったい何のために戦っているのか。そんな思いが戦場には、蔓延していたことだろう。この西南戦争は、政府へと立ち向かう大義名分があまりにも、不明瞭だった。
「西郷の暗殺計画について政府に問いただす」
戦の原点がそんな個人的なものならば、求心力も低下するばかりだ。板垣退助は6月、まだ西南戦争が終わっていない段階で、新聞に談話を発表している。その紙上で板垣は、西南戦争について「戦争の大義においては、佐賀の乱の江藤新平や萩の乱の前原一誠より下等である」と厳しく批判し、さらにこう続けた。
「私憤をはらすために人を損じ、財を費やす。こうして、逆賊の汚名を歴史に残すというのは、いったい何を考えているのか」
そもそも西郷に勝つ気があったのかさえも怪しい。西南戦争について「ただ死に場所を求めていたのではないか」という声も少なくはない。実のところ、西郷軍の戦略次第では、明治新政府を脅かすことは十分にありえた。
だが、軍の規模で劣るなかで、西郷を大将に据えた西郷軍は軍略にも乏しく、官軍に追い詰められていく。
(第55回につづく)
【参考文献】
大久保利通著『大久保利通文書』(マツノ書店)
勝田孫彌『大久保利通伝』(マツノ書店)
西郷隆盛『大西郷全集』(大西郷全集刊行会)
日本史籍協会編『島津久光公実紀』(東京大学出版会)
徳川慶喜『昔夢会筆記―徳川慶喜公回想談』(東洋文庫)
渋沢栄一『徳川慶喜公伝全4巻』(東洋文庫)
勝海舟、江藤淳編、松浦玲編『氷川清話』(講談社学術文庫)
佐々木克監修『大久保利通』(講談社学術文庫)
佐々木克『大久保利通―明治維新と志の政治家(日本史リブレット)』(山川出版社)
毛利敏彦『大久保利通―維新前夜の群像』(中央公論新社)
河合敦『大久保利通 西郷どんを屠った男』(徳間書店)
瀧井一博『大久保利通: 「知」を結ぶ指導者』 (新潮選書)
勝田政治『大久保利通と東アジア 国家構想と外交戦略』(吉川弘文館)
清沢洌『外政家としての大久保利通』 (中公文庫)
家近良樹『西郷隆盛 人を相手にせず、天を相手にせよ』(ミネルヴァ書房)
渋沢栄一、守屋淳『現代語訳論語と算盤』(ちくま新書)
安藤優一郎『島津久光の明治維新 西郷隆盛の“敵”であり続けた男の真実』(イースト・プレス)
佐々木克『大久保利通と明治維新』(吉川弘文館)
松尾正人『木戸孝允(幕末維新の個性 8)』(吉川弘文館)
瀧井一博『文明史のなかの明治憲法』(講談社選書メチエ)
鈴木鶴子『江藤新平と明治維新』(朝日新聞社)
大江志乃夫「大久保政権下の殖産興業政策成立の政治過程」(田村貞雄編『形成期の明治国家』吉川弘文館)
入交好脩『岩崎弥太郎』(吉川弘文館)
遠山茂樹『明治維新』 (岩波現代文庫)
井上清『日本の歴史 (20) 明治維新』(中公文庫)
坂野潤治『未完の明治維新』 (ちくま新書)
大内兵衛、土屋喬雄共編『明治前期財政経済史料集成』(明治文献資料刊行会)
大島美津子『明治のむら』(教育社歴史新書)
長野浩典『西南戦争 民衆の記《大義と破壊》』(弦書房)
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