初代バチェロレッテ萌子さん「大胆な選択」の真意 「等身大の自分を愛せるようになるまで」

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「番組を観て批判されていた方とは、もしも直接お目にかかる機会があり向き合ってお話しできるなら、理解し合うきっかけになるかもしれない。生涯お会いできなかったら、それはもう仕方がないこと。もともと生きていくうえで交わらない方なんだと思っています」

福田萌子さん(写真:福田萌子公式Instagramより)

率直に、丁寧に言葉を選びながら語る。その真っ直ぐな瞳の奥には、初対面のこちらの真意を慎重に見極めようとする、繊細な色合いも感じとれる。

番組の最後、1人を選びとれなかったことについては、こう振り返る。

「私自身にとってもとても残念なことでした。(参加した17人の)彼らの良いところをたくさん知り、そこから男性として好きになろうと努力もしていたからです。

でも、人としては素晴らしい人でも、男女として心が動いていない相手と、『仕事だから』と強いられてキスをする……。私は、私にうそをつけませんでした」

彼女が今も多くの人に支持される理由は、このピュアさ、身もふたもないほどの正直さにもあるのだろう。

しかし、今の萌子さんに至るまでには、自身との長い格闘の歴史もあったという。

生まれ育った沖縄で感じてきた”疎外感”

福田萌子さんは、1987年、沖縄県に生まれ育った。建設会社を営み、一代で大成功を収めた父、その父を支える愛に満ちあふれた母は、彼女が今も最も敬愛する存在だ。

海や山など自然の中で遊ぶことが大好きで、両親の愛を一身に浴びて育った天真爛漫な女の子。沖縄は、彼女の故郷ではあるものの、元々、福田家のルーツはこの土地にはない。

子供時代は、そのことで疎外感を感じることも多かったという。

「沖縄は素晴らしい土地ですが、他所者に対しては厳しい場所でもあるんですよね。内地から移住してきた私たちは、“ナイチャー”と呼ばれ、区別されることが日常でした」

もう1つ、孤独を深めていた要因がある。その家柄だ。福田家は事業で大成功を収め、国内外に何件も自宅を持つ資産家だった。当然、同級生たちとは会話が噛み合わない。わが家の事情を正直に話せば、驚かれるか、引かれるか。時には、攻撃されることもあった。

「子どもの頃は、家が裕福だからと逆差別されることはよくありました。自分ではどうする事もできなくて苦しかったですが……。父によく言われたのは、『妬み、嫉みは抱く側のほうが苦しいものなんだよ。嫉妬心を与えないように注意しなさい』ということです」

次ページ同級生たちと話を合わせようと心を縮めて過ごしていた
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