初代バチェロレッテ萌子さん「大胆な選択」の真意 「等身大の自分を愛せるようになるまで」

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「モデル事務所の社長には、『あなたはハングリー精神がないからダメよ』と叱られることが日常でしたが、それを父に話したら、『当たり前だよ。そんな育て方はしていないし、ハングリー精神がないのがあなただから』と。目から鱗でしたね。それまでは、ハングリー精神がないことはマイナスだと思い込んでいたけど、そういうわけでもないんだなと。

母は、どんな時も自信を持たせてくれる人です。何があろうとも味方でいてくれるし、例え世間では成功ではなかったとしても、努力した過程を認めてくれてあなたは素晴らしい存在だと伝えてくれる。私だけでなく、父にも家族以外の人に対してもそう。その人をまるごと肯定して、愛を持って、その人の価値を見出してくれる人なんです」

”自由な魂”を取り戻し、再び上京

そんな両親と時間を共にするうちに、自由な魂を取り戻すことができた。再び、モデルとしての挑戦心が自然と湧き上がり、再び上京したのは、25歳を迎えた頃。改めて自分と徹底的に向き合おうと、自分へのインタビューを繰り返し行い始めた。

自分への質問は『私はなぜモヤモヤしているの?』『私は何をしている時に幸せを感じる?』『将来は、どのような人生を送りたいの?』などなど。落ち込んだり、自分を見失ってしまいそうな時、そんなふうに自分に問いかけてみると、自分を客観視して心を整理できたし、少しずつ前に進むことができるようになったという。

「人に合わせることが優しさだと勘違いしていたから、自分を押し殺して我慢することも多々あったし、仕事で批判されるたび、真に受けて苦しんでいました。でも、それは、そもそも私が『福田萌子はどんな人間なのか』をわかっていなかったから。自分の価値観がなかったから、人の価値観に振り回されていたんだと思います。

自分を深く理解できたら、等身大の自分を愛せるようになれたし、物事を冷静に捉えられるようにもなりました。たとえば、オーディションに落ちるのは、自分がダメなのではなく、その企業のイメージに合わなかっただけのことだと理解できました。だからこそ、受かった時は、そのご縁を大切に自分らしく頑張ろうという思いも強まりました」

程なく転機が訪れた。心境の変化と共に、状況も好転し始めたのだ。きっかけの1つは、セレブモデルとしてテレビ出演が増えたことだ。

「セレブモデルとして呼ばれたことに最初は戸惑いました。演出の方に求められるのは、裕福な家のお嬢様としてのキャラで『百貨店のバッグ売り場で棚の端から端まで全部買い占めました!』みたいなエピソードを期待されましたが、実際は絶対そんなことしないですから(笑)。

母も私も、自分に必要なものを長く大切に使うので。だから、求められることと現実のギャップにジレンマは感じていたんですけど、間を取りながら自分なりにお応えして、出演を重ねているうちに、ふと心が軽くなっていることに気づいたんです」

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