「え、怒らないの?」と母に聞くと、母は「だって怒られていたのはあんたじゃない。私には関係ないし」と言って、それ以上、三者面談の話をしなかったのでした。
そのとき、僕は思ったのです。「ああ、そうか。たしかに先生は母親に怒っていたわけじゃない、僕に怒っていたんだ。悪いのは僕で、怒られるべきは僕だ」と。
もし1ミリでも母親が僕のことを「なんであんた勉強しないの!」と言ったら、僕は自分の責任だと思わなかったでしょう。僕は天邪鬼なガキだったので、先生が怒っていたのも、母親に対して「なんでお宅のお子さんに勉強させないんだ」と言っていたのであって、怒られていたのは僕じゃなくて母親なんだと思ってしまっていたかもしれません。
でも、母親は僕のことをまったく怒らなかったのです。
怒られたのも僕で、その原因を作ったのも僕で、それを改善する必要があるのも僕なんだと、暗に示してくれたのです。
「これからの人生は、僕は僕の責任で、生きていかなきゃならないんだ」
このとき、僕はそう考えて、一歩大人になったのだと思います。
そこから僕は、ギリギリ赤点を回避する勉強をするようになりました。まったく勉強したくはなかったのでそこは変わらないのですが、悪い点を取ったら自分の責任だと思うようになり、少しずつ勉強するようになったのでした。
そして高校に上がってから、僕はとある先生との出会いを通して、東大を目指すようになります。その話は以前の記事(「2浪、偏差値35」それでも僕が東大を目指したワケ)でも書いているので割愛しますが、母親のスタンスはずっと変わりませんでした。
「あんたの人生なんだから、自分で考えなさい。私が介入することはないわ」
そういう、ある意味で「突き放す」態度が、僕が主体的に動くきっかけになったように感じています。
「生活面」ではたくさん怒られた
さて、そうして「勉強しなさい!」と言わなくなった母親ですが、逆に僕が浪人していちばん気分が落ち込んでいるときには、僕を何度も叱りました。
浪人して、合格するイメージがまったく湧かず、精神的に非常に落ち込んでいた僕は、明るくなっても部屋を暗くして、机の明かりだけつけて勉強していました。
そんなとき、母は勝手に部屋に入ってきて、カーテンを開けて窓を全開にして、「とにかく日光を浴びなさい!」と怒るのです。
また、気持ちが暗ければ暗いときほど、犬の散歩に駆り出されました。
「僕は勉強しなきゃいけないんだけど……」と愚痴を言っても、「あんただって、家族として犬の世話くらいしなきゃダメでしょ!」と怒るのです。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら