「奨学金440万円」親ガチャ外れた35歳彼が得た物 「自分の将来に投資して、リターンを得てきた」

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しかも、コンビニって自営業のため、一度お店を潰すとなると、お店の商品をすべて処分する必要があるんですよ。全商品を足すと大体300万円ぐらいになるので、要は閉店のたびに借金が300万円増えていったんです」

安定しているように見えて、かなり外部要因に左右されるコンビニ経営。そんな状況だが、彼には叶えたい夢があった。

「マンガの編集者になりたかったんです。でも、高校3年生のときに担任に『将来は出版社に入りたい』という話をしたところ、『今のままでは無理だよ』と鼻で笑われてしまって。

というのも、当時の僕は出版社の募集要項に『四年制大学卒』という条件があること、そしてそれをクリアしてないと、書類すら受け取ってくれないことを知らなかったんですね。そこから、大学進学を本気で考えるようになりました」

しかし、実家は常に火の車のため、大学に進学するなら「奨学金を借りてほしい」と親に頼まれる。

「家計が苦しかったので、高校時代からすでに奨学金は毎月1万円程度借りていました。『奨学金=借金』という意識はありましたが、親からの頼みだったため、借りざるを得ませんでしたね。また、大学受験のための予備校代もなかったので、実家で週1回アルバイトをして稼いでいました。それで、苦手な科目の授業だけを毎月3万円払って受けていました」

夢を叶えるため、夜間学部へ

そして、谷山さんが自身の夢を叶えるために選んだのは、2000年代の当時、すでに珍しくなりつつあった夜間学部だった。

「担任の先生に相談したところ、お子さんが早稲田の第二文学部(かつて設置されていた夜間学部)に通っているという話を聞いたため、夜間という選択肢が出てきたんです。学費は昼間と比べて安いのに学歴はちゃんとつくし、日中は働いてお金を稼げる。準社会人みたいな生活が送れると考えました」

このような考えの結果、都内の私立大学の夜間学部に進学した谷山さん。北関東とはいえ、ギリギリ都内に通える距離だったため、一人暮らしはせずに毎日片道1時間半程度かけて通学。しかし、経済的な理由から日中は働く必要があったため、大学の最寄りの出版社でアルバイトをするようになった。

「マンガの編集者を志していたのですが、当時アルバイト誌で出版社のページを開いても募集がなかったので、『出版社ならどこでもいいや』と思って始めました。学生時代は夜間というのもありますが、サークルには入らず、平日は毎日バイトしていましたね。フルタイムとはいえ、バイト先も勤務時間を調整してくれたので、9:00〜16:00まで働いて、その後、3コマほど講義を受けに行くというスケジュールです」

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