今は失ったものの大きさに圧倒されていますが、いずれAさんは「自分はすべてを失ったわけではない」ことに気づかれるのではないかと思います。今までは未来のために今を投資する生き方をされてきたので、最初は戸惑われるかもしれません。これからは「今を生きる」ことを考えることになるでしょう。
このように伝えると、Aさんは、「あなたの言っていることの意味は理屈としては理解できるが、今はまだそんなことは認めたくない」とおっしゃいました。
そこで私は、「Aさんのお気持ちは当然だと思います。しかし、もしよろしければ、Aさんのこれからの道のりを歩むお手伝いをさせてください」と伝え、そして、Aさんはその後も定期的に私の外来に通われることとなりました。
半年後の春、私の外来を訪れたAさんの表情は少し穏やかでした。会社はAさんのがん罹患がわかって行く末が危ぶまれたものの、引き継ぎの体制も整い、事業を継続できる見通しが立ったそうです。
「正直ほっとしました。自分が会社の行く末を見届けられないのは残念でしょうがないですが、仲間が私の想いを引き継ごうと、頑張ってくれたのがうれしかった。そして、今まで頑張ったことが無駄にならなくて済んだので、ほっとしました」
そのうえで、次のような言葉を続けられました。
家の近くの桜並木を見て
「先日、花見に行ったんです。家の近くの桜並木が満開で、天気もよかったんで散歩に行ってみました。雲一つない青空のもとの満開の花に、言葉にできないぐらいの感動を覚えました。毎年何気なく見ていた桜の花だったけど、こんなに美しかったんだなって。僕の人生も短かったけど、少しは自分の想いを残せたのかな」
Aさんの目には涙があふれていました。
私は、厳しい運命と向き合い、生きる意味を見いだそうともがいたAさんの心の道筋に想いを馳せ、そして、「Aさんが見られた桜は、本当に美しかったんでしょうね。私もいつか、そんな美しい桜を見てみたいです」とお伝えしました。
死という厳然たる真実と正面から向き合っても色あせないのは、愛情深い時間と、美しさに触れる体験ではないでしょうか。このことについては、いずれまた機会があれば詳しくお伝えしたいと思っています。
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