「私は突然、膵臓がんと宣告されてしまいました。データを知るほどに絶望的な気持ちになります。5年生存率は数%。1年はなんとかがんばれても、2年は難しいと思っています。
やっと自分でまいた種が芽を出し、すくすくと育ってきたのに、収穫のときに私はいない。私は会社にすべてを捧げてきましたので、とても悲しいですし、むなしいです。自分の人生はなんだったのか。これからの時間をどのように生きていけばよいのかがわかりません」
Aさんの気持ちは私なりに理解できます。「なるほど」とうなずく私に、Aさんは「私はこれからどうしたらよいでしょうか……」と訴えます。
がんによってもたらされる苦痛には4つの種類があります(4つの苦痛を紹介した前回の記事)が、そのうちの1つが「実存的(スピリチュアル)な苦痛」です。自分の死を意識したときに、Aさんのようにそれまで目指していた目標が失われ、生きる意味がわからなくなってしまうのです。
心理学者のユングは、青年期から中年期への移行期を「人生の正午」と表現し、そこから危機の時期を迎えると述べています。一般的に、人は中年期を過ぎ、人生の後半に入ったときにはじめて、人間は衰えていくことを実感を持って悟るわけです。
自分がまさか死ぬなんて…
人生の前半である青年期は、身体的にも元気で、知識や経験がだんだん増えていくことで、自身の成長を実感できる時期でもあります。老病死という苦しみについて、いつか自分に起きるであろうことは頭では理解していても、実感は伴いません。まさにAさんもそうでした。
5年後、10年後のために今を頑張る。その前提には、自分は健康で安全な世界に住んでいて、当たり前のように明日も明後日も、1年後も10年後もやってくるという考えがありました。
ですから、Aさんのように生きるうえでの前提が突然覆されたら、人は大混乱に陥ります。そして「今を生きる」ことをおろそかにしていた人が、自分に与えられた時間が限られていると実感したとき、生きる意味が一時的にわからなくなってしまうのです。これが実存的苦痛です。
ドイツの作家、ヘルマン・ヘッセも、人生の前半は実存的な苦痛と格闘し、ユングのカウンセリングを受けていたといわれています。ここにヘッセの詩をご紹介させていただきます。
いつも私は目標を持たずに歩いた。
決して休息に達しようと思わなかった。
私の道ははてしないように思われた。
ついに私は、ただぐるぐる
めぐり歩いているに過ぎないのを知り、旅にあきた。
その日が私の生活の転機だった。
ためらいながら私はいま目標に向って歩く。
私のあらゆる道の上に死が立ち、
手を差出しているのを、私は知っているから。
ヘルマン・ヘッセ著 高橋健二翻訳 『ヘッセ詩集』(新潮文庫)より
無料会員登録はこちら
ログインはこちら