マスクが子どもの脳と心の成長を阻むリスクとは 子どもは相手の表情や口の動きを真似て学ぶ

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こうしたことがスムーズにできる土台となっているのは、視覚野と聴覚野の適切な働きによるのですが、その感受性期がまさに乳児期から幼児期にかけてなのです。

いちばんわかりやすい例は、言語の学習でしょう。多くの日本人にとって、英語の「l(エル)」と「r(アール)」の発音を聞き分けることは困難です。しかし、イギリス人やアメリカ人は、それらを当たり前のように聞き分け、使いこなしています。これができるのも、英語圏の人たちが、英語を話す人たちが周りにいる環境にさらされて幼少期を過ごしたからです。同じことは、日本語の習得についても言えます。

マスク生活が社会性の発達に影響を与える

このように、私たちは「見ること」「聞くこと」において、乳幼児期に周りの環境から大きな影響を受けて育ちます。ですので、家族以外の周りの人たちがみんなマスクを着用している──目だけでなく、表情全体を使ってコミュニケーションすることが難しくなった日常が、乳幼児期の脳や心の発達、とくに社会性の発達になんらかの影響を与える可能性は否定できないと感じるのです。

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大人の感覚からすると意外に思われるかもしれませんが、子どもは目だけを使ってコミュニケーションできるわけではありません。それが可能になるまでには、時間をかけた学びが必要となります。

「アイ・トラッキング」という装置を使うと、乳児に話しかけたときに、彼らがどこをどのように見ているかを可視化することができます。私たちの研究では、生後6カ月くらいから、相手の目よりも口元のほうを長く見ることがわかっています。

さらに重要なことがあります。乳児は、ただ相手の目や口元を見るだけではなく、その動きや音を自分でもやってみようとするのです。「ワンワンだね」と乳児に笑って伝えたら、乳児も「ワンワン」と言って、笑顔を返す。コロナ禍前には当たり前のようにあった光景ですね。乳児期には、こうしたやりとりを日々経験しながら、相手の心や言葉を1つひとつ学んでいくのです。

ところが今、乳児を取り巻く他者の口元は、完全に覆い隠されています。家庭以外の場で、学びの機会を得ることが難しくなっているのです。

明和 政子 発達科学者(京都大学大学院教育学研究科教授)

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みょうわ まさこ / Masako Myowa

京都大学教育学部卒。同大学大学院教育学研究科博士後期課程修了。博士(教育学)。京都大学霊長類研究所研究員、京都大学大学院教育学研究科准教授を経て、現在、同大学院教授。ヒトとヒト以外の霊長類を比較し、ヒト特有の脳と心の発達とその生物学的基盤を明らかにする「比較認知発達科学」という分野を世界に先駆けて開拓した。著書に『ヒトの発達の謎を解く─胎児期から人類の未来まで』(ちくま新書)ほか多数。現代社会に生きるヒトが抱える問題を、最新科学の知見から理解するための社会活動にも力を注いでいる。

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