イケアは、なぜ多くの人を惹きつけるのか 大塚家具と対照的な家具店の3つの成功要因

印刷
A
A

イケアは、イングヴァール・カンプラード氏が1943年に創業した雑貨販売店をルーツとする。わずか17歳のときだった。商売欲旺盛かつ、商才のあったカンプラード少年は次々に取り扱い品目を拡大していく。その5年後、イケアは家具のディスカウント販売を開始する。理由は単純。創業の町に家具メーカーが多かったからだ。1951年には家具専門店となった。

イケアの海外進出は、創業から20年後だ。1963年にノルウェー、1969年にはデンマークへ出店した。海外に出たのは積極的な事業拡大ではなかった。当時スウェーデン国内の小売業者から反イケアの動きが出てきたことで、国内では安泰でなくなったために海外に目を向けたのだった。実際にスウェーデンでは家具メーカーがイケアへの納入をとりやめる例があったようだ。

その後、主要国ではドイツ1974年、カナダ1976年、米国1985年、イギリス1987年、ロシア2000年と進出していった。イケアは中東には子会社ではなくフランチャイズで進出している。

一度は日本進出失敗も……

イケアのショースペース(写真は2007年時)

前述したが意外に知られていないのは、イケアが一度、日本進出に失敗した歴史だ。三井物産や東急百貨店などとの合弁でIKEA日本(株)を設立。2店舗の運営を1974年に開始したが、不振のため1986年に撤退した。当時は売り場面積が3000平方メートル程度しかないうえ、商品数も少なく、今のような本来のイケア商法とは乖離している側面があった。

日本再挑戦は2006年。イケアグループ全額出資の第1号店が千葉県船橋市にオープンした。創業者のカンプラード氏は、日本再進出の成功を疑わしく思っていたようだが、前回とは条件が違った。バブル崩壊後の日本の地価暴落は、大規模展開を手法とするイケアにとって都合がよく、安価な商品が抵抗なく受け入れられる素地がデフレ経済のもとでできあがっていた。

次ページ日本の厳しい水準を逆手に
ビジネスの人気記事
トピックボードAD
関連記事
トレンドライブラリーAD
連載一覧
連載一覧はこちら
人気の動画
日野自動車「データ改ざん」による重すぎる代償
日野自動車「データ改ざん」による重すぎる代償
工場が消える!脱炭素が迫る最後の選択
工場が消える!脱炭素が迫る最後の選択
ファミマと伊藤忠が狙う「セブン-イレブン1強体制」打破の勝算
ファミマと伊藤忠が狙う「セブン-イレブン1強体制」打破の勝算
マンションで急増「宅配ロッカー」が突く新課題
マンションで急増「宅配ロッカー」が突く新課題
アクセスランキング
  • 1時間
  • 24時間
  • 週間
  • 月間
  • シェア
会員記事アクセスランキング
  • 1時間
  • 24時間
  • 週間
  • 月間
トレンドウォッチAD
  • 新刊
  • ランキング
東洋経済education×ICT