玉川徹、谷原章介「#テレビに出すな」騒動の是非 正当か行き過ぎか、ネット上の罷免運動の危うさ
実際のところ、玉川さんや谷原さんが希望通り番組から姿を消したところで、「たいしてスッキリせず、また別の人に怒りの感情をぶつけたくなる」というストレスフルな日々から抜け出せないでしょう。自分の生活や人生と向き合わず、他人に怒りの感情をぶつける日々をよしとするのか。個人の自由ではあるものの、私は1人のコンサルタントとして「もっと自分のことを大切にしてほしい」と思ってしまうのです。
真逆の応援ハッシュタグもあった
今回のようなハッシュタグは、終了したばかりの朝ドラ「ちむどんどん」(NHK)における「#ちむどんどん反省会」が盛り上がったことを見ても、悪意があるものほど広がりやすいことがわかるでしょう。
ただ、その一方で、「#玉川徹頑張れ」「#玉川徹さんに連帯します」「#玉川徹氏を支持します」などのハッシュタグも存在します。
玉川さん関連のポジティブなハッシュタグの内容を見ていくと、目立つのは政治家の姿勢を問題視する声。旧統一教会に関する説明責任を果たさないことなどを理由に挙げつつ、「断罪されるべきは、情報番組のいちコメンテーターではないだろう」などと主張しているのです。
ひいては、罷免運動のようなツイートで盛り上がる人々を「何もわかっていない」と揶揄したいようにも見えますが、いずれにしても、このような人々がいることも事実。それをわかったうえで、「どの主張が正しいか、正しくないか」を決める必然性は薄いでしょう。しかし、罷免運動のようなものだけに注力する現状は、「多くの人々が個人の公開裁判をする」ような恐ろしさを感じてしまうのです。
批判の声で盛り上がっている最中だけに、このようなコラムを書くと反発する人が少なくないでしょう。ただ、私は玉川さんや谷原さんを擁護する気持ちはありませんし、“右”や“左”の思想もありません。何気なく罷免運動のようなものに参加している人々が、「本当にそれでいいのかな」と考えるきっかけのひとつになれば幸いであり、そのために書く機会をもらったのです。
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