もう1つ現行の金融教育で心配なのが、内容がミクロに偏重しているのではないか、という点である。例えば、金融庁が公開している新学習指導要領に対応した授業を行うための指導教材をみてみると、①:家計管理とライフプランニング、②:使う、③:備える、④:貯める、⑤:借りる、⑥:金融トラブルという6つの章立てから成り立っている。
内容自体は素晴らしいが、いずれも自分がどのようにお金と向き合うかというミクロの観点しかない。やはり前述の通り、社会全体でのお金の動きなどマクロの観点も同時に教えないと、バランスが悪いのではないかと筆者は思う。
マクロの観点も教える必要がある
例えば、現在は賃金が上がらないなかで、モノの値段が上がる状態だ。このような時に個人はどうすればいいか、という取材をメディアから受けたので、節約をはじめ、いくつかの方法を話したことがある。
もちろん、これはあくまでミクロの観点から話をしている。すると、マクロの視点しか持たない人からは、そうやって個人が節約することを推奨すると、経済が冷え込むからやめろ、という指摘を受けることが多々ある。
また、このような状況下で政府はどのような経済政策をとるべきかという取材を受けることがある。
その際には、短期的には減税や給付金で家計や企業を支えつつ、中長期的には国内への投資によってエネルギーをはじめとする供給能力を高めるべきだとマクロの観点から回答すると、その記事をみたミクロ脳の方からは、「自分の納めた税金で困窮者を救うのは反対。どんな環境になっても生き抜けるように自己研鑽すべきで、生活困窮者は自己責任だから救う必要などない」というような指摘を受けることもある。
合成の誤謬と言葉があるように、ミクロで正しい行動も、マクロでは好ましくない結果を招くということが多々あり、ミクロとマクロそれぞれの観点から好ましいとされる選択肢は必ずしも一致しない。
あまりにミクロの観点ばかりを教え込んでしまうと、マクロの観点を忘れてしまう。当然、その逆も然りだ。ミクロとマクロをバランスよく教え、そもそもそれらは別々のものであるという区別を理解させることが重要であろう。
故にマクロの観点を教えるべく、私たちのお金が世の中をどのように回っているのか、というマクロの話もカリキュラムに入れたほうがいいのではないか、と筆者は考えるのである。
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