信者家族「たたかれた子」と親の間の埋まらない溝 「信仰心による体罰」責任を負うのは親だけか

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東洋経済はエホバの証人の日本支部「ものみの塔聖書冊子協会」に、2世たちが抱える苦悩について見解を問うた。

――2世の中には、厳しい体罰を受けた経験がトラウマになり、大人になって精神疾患をきたす人までいます。教団に責任はありませんか。

エホバの証人の出版物は一貫して、聖書の原則と調和した仕方で愛情や優しさを示しつつ、子どもを教え、導くよう勧めています。

――聖書には「少年を懲らしめるのを控えてはならない」「彼をむちで打つべきである」と記されています。信仰の厚い親たちは、それに従って体罰をしていたのでは。

聖書は子どもを育て、しつける責任は親にあると教えています。聖書には「エホバは愛する人を矯正する」とあるので、親は子育ての際に聖書の方法で矯正を与えることがあります。聖書で言う「矯正」は決して残酷なものではありません。

エホバの証人の出版物には「父親の皆さん、子どもをいらいらさせて気落ちさせることがないようにしてください」といった言葉もあります。聖書で用いられる「懲らしめ」という語は、いかなる虐待や残虐行為をも意味するものではありません。懲らしめは主に、教え諭すことや正すことに関連しており、虐待や残酷さとは全く関係がありません。

――エホバの証人のコミュニティで育った2世の中には、大学進学を諦めたり就職もできなかったりと、生き方の幅を狭められた憤りがあります。

エホバの証人になるかどうかは個人が決めることです。多くの親たちと同じように、エホバの証人の親も、子どもたちの最善を願っています。子どもたちは大きくなったら、自分がエホバの証人になるかどうかを各自で決定できます。

(以上、回答の一部を抜粋)

「しつけの責任は親にある」批判をかわす教団

教団はしつけの責任は親にあるとし、「懲らしめ」も残酷なものではないとする。人生の選択肢を奪われたという2世の訴えについても、教団には責任がないという見解を示した。

剛さんと優子さんも体罰について「聖書が間違っていたわけではない。私たちの聖書の理解が付け焼き刃で、もろかった。わかっているようで、わかっていなかった」と、責任は自分たちにあるのだと語る。教団にとっては都合の良い見解だ。

体罰を受けた経験や、生き方を強制的に狭められたことを許すことができない孝さん。孝さんの心の傷に責任を感じ、親子のわだかまりを解こうと苦心する両親。「しつけの責任は親にある」と、火の粉を振り払う教団。

2世たちが苦しむ体罰や進学・就労の制限が、宗教団体の教義や組織力に起因していることは確かだ。こうした2世の苦しみが教団組織としての問題ではなく、「親の問題」「家庭の中の問題」とされてきたところに、宗教2世問題が埋もれてきた一つの理由がある。

野中 大樹 東洋経済 記者

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のなか だいき / Daiki Nonaka

熊本県生まれ。週刊誌記者を経て2018年に東洋経済新報社入社。週刊東洋経済編集部。

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井艸 恵美 東洋経済 記者

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いぐさ えみ / Emi Igusa

群馬県生まれ。上智大学大学院文学研究科修了。実用ムック編集などを経て、2018年に東洋経済新報社入社。『週刊東洋経済』編集部を経て2020年から調査報道部記者。

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