20代で「漁師を束ねる"ボス"」になった彼女の半生 なぜ魚を知らない素人が漁業の世界へ入ったのか
喜んだのも束の間、机上の計画書を現実のものにしていく道のりは、想像以上に厳しかった。主力の魚はこれまで通り漁協を通して出荷し、タダ同然で取引されていたそのほかの魚だけを直接、消費者に卸すのだから、シンプルに考えれば誰も損をせず「三方良し」のビジネスになるはずだった。
しかし、漁協や関係者から想像以上の抵抗が起きた。漁協によって何十年にわたって確立されてきた消費者へ魚を届けるプロセスを、一部の魚とはいえ船団丸は変えようとしているのだ。反発が起きるのも無理はなかった。
嫌がらせのようなこともあった。それでも「陰口を言う人がいる一方、組織の中でリスクを冒してまで、私たちの味方になってくれた人たちもいる。そういう人たちを裏切れないという気持ちしかなくて、何を言われようとやめる選択肢はなかったし、萩の漁業を守るためには絶対やり続けるしかないと思っていた」。
とはいえ、漁協と漁師が運命共同体のように、強固に結びつくコミュニティだからこそ、周囲からの反発があると船団丸の漁師たちも動揺する。長岡さんも同じで、たびたび坪内さんと意見の相違で激しく言い争い、取っ組み合いのケンカまでした日もあった。
坪内さんが大切にしている仲間選びの基準
しかし坪内さんが大切にしている仲間選びの基準「同じ一本の花(美徳)を、一緒にきれいだねと言えるかどうか」、すなわち「萩の漁業を後世に伝えたい」という点で、坪内さんと長岡さんは強い絆で結ばれていた。
それは、他のスタッフも同じ。言い争いの末、けんか別れしそうな雰囲気になっても「どこかで災害があったり、事故が起きたりすると、たとえそれが自分たちの味方ではなくても、一致団結して助けに行く。そういう行動がパッとできる集団だから、何が起きても一緒にやり続けられる」と揺るぎない信頼が築かれていた。
顔を突き合わせて意見を言い合い、衝突を恐れない関係。ヒートアップすると「ふざけんな!」「出ていけ!」など激しい言葉が飛び交うが、「衝突が怖くて直接の話し合いを避ければ、後々陰口を言ったり、人づてで話が変わったり。
そうなると10倍、20倍も時間と労力をかけなければ解決しなくなる。それは嫌だし、もっと言えば話がねじれた結果、取り返しがつかないぐらい誰かが追い込まれる事態には絶対にしたくない」と坪内さんはひるまなかった。
ケンカは、全員が同じ方向を向くための、大切な磨きあいのプロセスだったのだ。
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