また彼はマーケティングを一切おこなわず、座禅によって自分の心の奥深くを見つめ切って自分が真に望むものを見出し、それを商品として生み出していきました。これはまさに禅の思想の体現であり、現在のビジネスパーソンが求められている、アート思考です。
茶道の美意識の根底には、この禅の思想があります。
それは床の間に掲げられた禅語の掛け物のように、明らかな形で存在しているものばかりではありません。袱紗(ふくさ)さばき、茶道具、茶室建築などあらゆるところに、余計なものを削そぎ落して本質と直に向き合う禅の思想が浸透し息づいています。
茶道になぜ禅が密接にかかわっているのか――? そんなふうに、不思議に思う方があるかもしれません。
日本の茶道に関していえば、室町時代に村田珠光という偉大な茶人が茶道に禅を取り入れた、という見方が一般的です。しかし実際は、中国から日本に茶道の原型が伝えられた時点で、茶道と禅には密接な関係があったのです。
茶道の歴史について、中国に渡った後に帰国し、お茶の種と抹茶文化を伝えたといわれる栄西は、禅を学ぶため中国に出かけています。そして当時の中国では、僧侶たちがお茶を飲用し、仏教の儀礼に使用していました。では、なぜ中国の僧侶はお茶をそのように活用していたのか?
古くから知られていた茶の効能
それは経験上、お茶が禅修行に役立つと知ったためだと思われます。お茶の効能は中国では古い時代から知られ、意識の状態にも作用することが文献にも書き残されています。
お茶を飲むことで禅が求める意識状態に近づけるとなれば、その作用を求めるのは禅僧として自然なことかもしれません。
またお茶の効能だけでなく、茶道のお点前(てまえ)をおこなうという行為によって、私たちの意識は特別な状態に導かれます。それはまるで座禅という瞑想ではなく、お茶をたてることを通じて禅の修行をしているかのようです。
実際に、茶道は禅の修行であるというような説明は、古くから一般的になされています。
お点前についても、先人たちが禅の修行を意識して組み立てたものなのかもしれません。
茶道と禅の関係は、「茶禅一味」という言葉で言い表されています。茶と禅の本質は同一である、ふたつは同じ境地を目指しているという意味ですが、この言葉の真意は、茶道の稽古を重ねていく中で、感覚によって理解できるものなのでしょう。
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