これが欧米社会に広まったのは、日本の仏教学者で禅修行者の鈴木大拙(だいせつ)氏、そして僧侶の鈴木俊隆氏が英文の著作を出版し、積極的な活動をおこなったことが決定的な理由です。
鈴木大拙氏は『Zen Buddhism and Its Influence on Japanese Culture(禅と日本文化)』など、英文の著書30作以上を上梓し、日本の「禅」を「ZEN」として欧米に定着させた功績者です。また第二次世界大戦後に10年間、アメリカに滞在していた時期には、コロンビア大学、ハーバード大学で仏教思想を講義したほか、活発な講演活動をおこないました。
また鈴木俊隆氏は1959年にアメリカに渡ってサンフランシスコ桑港寺(そうこうじ)の住職となり、その後、現地のアメリカ人の大きな反響を受けてサンフランシスコ禅センター、そしてカリフォルニア山中に滞在型の修行道場であるタサハラ禅マウンテンセンター(禅心寺)を開くなどして、実践型のプロモーション活動をおこないました。彼らふたりは、欧米では「ふたりのスズキ」と呼ばれています。
禅とスティーブ・ジョブズ
彼らの影響を強く受けた代表的な著名人といえば、Appleの共同創設者、スティーブ・ジョブズ氏が挙げられます。禅の思想に深く傾倒し、曹洞宗の信徒にもなったことは有名ですから、ご存じの方も多いでしょう。彼は自宅だけでなく職場にも座禅をおこなうための部屋を用意し、日常的に禅の修行に取り組んでいました。
彼は若い頃からスピリチュアリティ(精神世界)に興味を持ち、当時アメリカでムーブメントとなっていたヒッピー文化に傾倒して、向精神薬を飲んで神秘体験をしたり、インドを訪れて瞑想を学んだりした経験があると語っています。その後に鈴木俊隆氏の有名な著作『Zen Mind, Beginner’s Mind(禅心、初心)』を通じて禅と出会います。
彼は著者の鈴木俊隆氏とも会っていますが、相性が合わなかったのか、実際に指南を受けたのは曹洞宗の僧侶、乙川弘文氏でした。乙川氏は僧侶ですが剃髪せず、結婚と離婚、同棲を繰り返し、お酒もたしなむ自由人であったので、ジョブズ氏にはとくに魅力的に映ったのかもしれません。乙川氏に自身の豪邸のひとつを与え、入りびたるようにして座禅を組み、教えを学びました。
彼の仕事には、禅の影響が色濃くうかがえるように思えます。
Appleのパソコンやスマートフォンのデザインは、シンプルで機能的な美しさ、つまり禅特有の「マイナスの美学」を追求した洗練が実現されています。それどころか、トレードマークのようになっていた、イッセイミヤケの黒いタートルネックとジーンズというファッションにも、同じ精神がかいま見えるようです。
彼は「自分の美的感覚に合わないものは決して受け入れない」という信念を持ち、つねに「Appleの製品にはシンプルな美しさが必要だ」と語っていました。マッキントッシュを開発していたときには、外からは見えない基盤のビジュアルにまでこだわり、「基板パターンが美しくない」という理由で、設計案を幾度となく却下したといいます。
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