天下人を魅了した武家茶道
戦国時代のトップエリート、天下人たちを魅了した武家茶道について、少し詳しくお伝えしておきましょう。「武家茶道」の登場は、茶道の様式において、根本精神をくつがえすような大転換でもありました。
利休の侘び茶は、小さな茶室で質素な道具を用いておこなわれていました。しかし武家茶道は、将軍はじめ武士たちへのもてなしを想定していることもあり、広間の茶室に意匠を凝らし、かつてとは異なる、比較的豪華な道具が用いられるようになりました。
また利休は茶室に身分の上下を持ち込みませんでしたが、古田織部は豊臣秀吉の意を汲んで、武家社会の厳格な主従関係を壊さないよう、身分の違いに応じて接遇を区別する作法を取り入れました。これは「分相応の茶」といわれます。
さらに、これまで茶室に刀を持ち込むことは固く禁止されていましたが、帯刀が許されるようになりました。しかし左腰に刀を差していると、左腰につけるべき袱紗(ふくさ)をつけることができません。そのため武家茶道では、袱紗を右の腰につけるようになりました。武家茶道には、ほかにも千家とくらべて細かな所作に違いがあります。
私が門下である「石州流伊佐派(せきしゅうりゅういさは)」も、武家茶道の流派です。
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