進学校に入った人と普通の高校に入った人の間でその後の学力に違いがほぼなかったのです。「進学校に入ると頭がよくなるのではなく、頭のいい人が進学校に入っているだけ」という、厳しい受験勉強で時間を溶かしてきた私たちには残念すぎる結果です。
こうした研究によって、直感と反する結果が出ることもよくあります。データの分析によって、私たちが当たり前に受け入れている常識が間違っていることに気づくことができるのです。
常識を壊したうえで、社会制度や資源配分の仕組みをゼロベースで虚心坦懐に考え直していく。それが私の研究の目指しているところです。
日本はデータやエビデンスの力を使って制度をつくっていくことに関して後進国です。
データを中途半端に公開すると、それを使って、評価されたり、悪事がばれてしまったりするので、公開したくない人たちというのがたくさんいる。最近の政府の対応を見ているとわかりやすいと思いますが、データの存在を隠したり、消去したりしてしまうこともあります。
アメリカでは、自治体が子どもたちの学習履歴などのデータを外部の研究者と共有する取り組みが盛んに行われています。アメリカと日本を比べると、政策絡みのデータ活用においては、日本はざっくり30年くらいは遅れています。
履歴書に書ける経験は「金で買える」
教育の未来の姿として、「学歴重視から経験重視に変えていく」というものがよく語られています。
これは、入学試験や就職活動の際、学力・学歴を評価の中心に据えるのをやめ、これまでどんな経験をしてきたかを評価の基準にするべきだという主張です。その裏には、いい大学に入って、大企業に採用され、高い給料をもらうという学歴社会における成功者と、そのレールから外れた人との間で、格差が広がっているという問題意識があります。
しかし、私の考えだと、経験重視の社会では、今まで以上に格差が広がっていきます。なぜなら、親がお金持ちでないと、受験でアピールしたり、履歴書に書いたりできるような経験はなかなかできないからです。
あまり知られていませんが、私の大学も含め、アメリカの有名大学は入学試験がありません。その代わりに、在学中の成績や課外活動といった、これまでの経験値を総合的に判断して入学できるかが決まります。つまり、受験がAO入試に近い仕組みしかないのです。
そういう世界で、何が起こっているかというと、高校生が100万円以上かかる「2週間で多様な経験を買うためのパッケージツアー」に参加しまくっています。そして、NPOや会社をつくる「経験」をし、受験の際に「社会起業家」を名乗って、自分をプレゼンすることで、合格を勝ち取っているわけです。
その結果、イェール大学やハーバード大学では、入学者の親の平均年収が2000万円となるなど、日本以上に強烈な格差が生まれてしまっている。
アメリカの実態を見る限り、「経験」を受験の評価基準にしてしまうと、豊かな家庭に生まれた子どもほど有利になり、格差がどんどん広がってしまうわけです。多様性を謳っているAO入試で、結局入学する層が固定化するという皮肉な結果です。
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