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90年代に「エア マックス」が爆発的に売れた理由 アパレル全体のマーケットそのものが変わった

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関税に関しても、かなり抑えられていた。例えば、新品のスニーカーは、27%の関税が取られる。だけど、箱がなければ中古品として扱われ、7%で済む。それに、アメリカでは州によって州税も異なる。スニーカーや服をニューヨークから送ると8.75%の関税がかかるけど、ニュージャージー州やペンシルベニア州からであれば、関税はかからない。

それに、大都市のニューヨークにはコンペティター(競争相手)となる日本人バイヤーがたくさんいたから、僕はそれを避けて、土地勘のあるフィラデルフィアを拠点にしていた。年間8~10回買い付けに行く中で、いつも決まってルート95(最南のフロリダ州から最北のメイン州を南北に結ぶ東海岸のハイウェイ)を南下したり北上したりしていたのは、実は州税を調べて、そこから導き出したコースでもあった。

「負けないコスト体質」を確立

100ドルで買い付けても、10%の税金がかかると110ドル。ただし税金がかからなければ、それだけで10ドルも利益が出る。そういった知識を活かして、「負けないコスト体質」を早くに確立したのも、並行輸入店が建ち並ぶ原宿で、チャプターが最後まで生き残った理由の一つだと思う。「たとえ他店と同じ価格で値付けしても、異常に利益率が高いのだから絶対に負けない」と、僕は自負していた。

ちなみに、ニューヨークでも当時のハーレムでは、税金を払う習慣がなかった。店はキャッシュが欲しいからまとめ買いの交渉に応じてくれやすい。

スパイク・リー監督の映画『ドゥ・ザ・ライト・シング』には、そんなニューヨークの一角で韓国人が経営するスニーカーショップが出てくる。黒人が店主に「まけろよ」と言うシーンがあり、僕もそれを真似して強気に値段交渉していた。

基本的にブラックカルチャーと結び付きが強いスニーカーは、治安の悪いエリアほど、価格も安く珍しいものが残っている。だけど、車の窓ガラスを割られて、荷物を全部盗られるなんてこともあり得るし、最悪、命の危険だって伴う。

アメリカでレンタカーを借りたら、車内が見えないように、まず窓ガラスを黒いビニールで覆うのは鉄則だった。バイヤーだとわかると買い付けのための大金を持っていると勘付かれるから、服装も至極シンプル。チャンピオンのスウェットかTシャツにリーバイスの「501」、そして「エア フォース 1」を履くだけ。他の日本人バイヤーとは違い、オシャレとは程遠い格好だった。

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【一軒一軒回って「地下の倉庫を見せてくれ」】

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