90年代に「エア マックス」が爆発的に売れた理由 アパレル全体のマーケットそのものが変わった

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「エア マックス 95」の登場は、アパレル全体のマーケットそのものを変えてしまった。その結果、それまで、古着やヴィンテージばかり取り上げていたファッション誌の多くが、新作(新製品)を取り上げるスタイルに変化していったのだ。

その影響で、売れ線だったオリジナルの1985年製「エア ジョーダン 1」や「ターミネーター」「ダンク」、メイドインフランスのアディダスなどの古いスニーカーに代わって、新作スニーカーが注目を浴びていった。

このころを境にチャプターは、いわゆる「古着とヴィンテージスニーカーの販売」から「スニーカーの並行輸入」へと軸足を移していく。

武器になった商社時代の貿易スキル

「王道のものばかりじゃ売れない。効率ばかり優先すると『遊び』がなくなって売れない」ということは、フリーマーケットで3カ月くらいして覚えた。

古着を扱っていた当時、アメリカで65~95セントで買い付けたTシャツが、日本では2980円で売れた。だけど、売れて在庫が少なくなり、カラーバリエーションが欠けると、2980円では売れず、1980円に値下げしなければならなかった。ところが、買い足してまたカラーバリエーションが増えると、面白いことに、一度値下げしたはずの商品が2980円でもまた売れる。

本来は売れるものであっても、「売れ残り」に見えた途端に価値がなくなるのだ。だから、そうならないように、また買い付けを繰り返す。基本的には白や黒が売れやすいけど、売り場にも「差し色」がないといけない。古着のTシャツも白、黒、赤、青、黄などをセットで買い付けるようにしていた。

スニーカーもこれと同じだ。仕入れのときに横に並べてバランスを見て、色が欠けないように買い付けていた。「やればやるだけ発見がある」、そうやって商売にどっぷり浸っていった。

買い付けで最も重要なのが、いかに買い付け資金を用意するかだ。それには、カキウチ時代の知識がすごく役に立った。当時は、海外の銀行でパスポートを見せると、その銀行の口座や通帳がなくても、日本の銀行からお金をおろすことができたし、L/Cオープン(信用状取引)と組み合わせて、パスポートを見せることで代金の後払いをすることができた。

ほとんどのバイヤーがそんなことは知らず、トラベラーズチェックや現金を持参するのが一般的だった中で、僕はそういった〝合わせ技〟を駆使して、買い付け資金を用意し、いいものを見つけたら必ず手に入れていた。

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