「ホラーの帝王」が描いた「選択と集中」が招く悲劇 「話半分に聞く」姿勢で新自由主義を生き抜く

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例えばジャックに置き換えてみれば、ホテルの管理の仕事を妻と一緒にやりながら、相談して時間を決めつつ小説を書けばよかったし、たまには一人でお酒を飲みたければそれを妻に伝えて時間を作ればよかった。反対に妻だって一人の時間が欲しかっただろうから、ジャックは息子を妻に任せきりにしてはならなかったのだ。さまざまな事情があるのはわかるが、さまざまな事情があるのはジャックだけではない。妻だって息子だって、ホテルにだってさまざまな事情はある。外界との連絡を断って、つまり選択と集中によってチャレンジしなければならない状況に自分を追い込むことは、短期的には大きなパワーを発揮しても長続きすることはない。

見たいものだけを見るようにさせる「物語」

特に現代は、選択と集中によって「一つの原理」に追い込まれやすい時代だ。インターネットやSNSは人々をつなぎ合わせることもしたが、分断も生み出した。コロナ禍で身体的接触、直接対面する機会が減ったことは、この傾向をさらに加速させたように思う。『シャイニング』においてジャックが非科学的ないし精神医学的に解明できる理由から狂っていく背景には、「一つの原理」に追い込まれやすい人間の性質がある。「一つの原理」だけに追い込まれると、人は見たいものだけを見るようになる。そしてその世界を脅かすものを敵視するようになるのだ。

この「一つの原理」は、どのような姿でぼくたちの前に現れるのか。それが「物語」である。英米文学研究者のジョナサン・ゴットシャルは、物語が持つ強い力について、古代ギリシアの時代から警鐘を鳴らしていた人物がいたことを伝えている。その人物は、かの哲学者プラトンである。プラトンは『国家』の中で詩、演劇、神話といった「フィクションの力」を危険視した。しかし現代における物語はそのようなフィクションだけを意味しない。いわゆるノンフィクションやイデオロギーなど、「人を惹きつけるように情報を構造化する方法」のことをゴットシャルは物語と呼ぶ。そのうえで、ゴットシャルは古代と現代との類似点を述べる。

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