「ホラーの帝王」が描いた「選択と集中」が招く悲劇 「話半分に聞く」姿勢で新自由主義を生き抜く

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その要因は、ジャックが自らの仕事を「書くことだけ」に限定したからなのではないかと思っている。本来のジャックの仕事は「ホテルの管理」だが、これを丸ごと妻に任せ、家族と過ごす時間も持たず、書くことに専念する。つまり自らのやるべき仕事を選択し、集中させ、すべてを小説の執筆に費やしたのだ。

誤解を恐れずに言えば、ぼくもジャックの気持ちがよくわかる。好きな原稿だけを書いていたいし、気が進まないことはやりたくない。今まで経験したことがなかったり、そもそも苦手なことは誰でも極力避けたいものだ。

さらにホテルの管理をする仕事より、小説を書くことのほうが成果が見えやすくわかりやすい。今冬とりあえずジャックは仮の締め切りを設け、それに向かって小説を書き終えようとしたはずである。もしかするとそこから逆算して、1日に何枚ずつ書こうという計画も立てていたかもしれない。

このように工程表を作り、それに従って仕事をこなしていくやり方は、現代社会を生きるうえで常識となっている。計画を計画通りに実行することができる人間がスマートであり、社会人としてのあるべき姿だと言われる。

しかし少なくともジャックの場合、選択と集中によって自らの仕事に取り組める背景には、彼の本来の仕事を妻が代行してくれているという状況があった。この状況の問題点を、ケアをめぐるさまざまな問題に取り組むグループ「ケア・コレクティヴ」が、ケアをめぐる現代的背景として簡潔にまとめている。

新自由主義者ジャックの「ユートピア」

ケアは長い間、その多くが女性たちに結びつけられていたために、価値を貶められてきました。つまり、ケアに関わる仕事は女性の仕事であり、「非生産的」だとみなされてきました。ケア労働はそれゆえ常に、低賃金と低い社会的地位に甘んじており、少なくとも、お金をかけて訓練されたエリート層の外に留めおかれてきました。現在の支配的な新自由主義的なモデルは、単にこうしたより長きにわたる価値の貶めを引き継いでいるにすぎないのですが、すでにあった不平等を、さらに歪め、新しい形で、より深刻にしているのです。

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