稲盛和夫「常に謙虚」貫いた偉大なる思想家の足跡 「経営の神様」はジェントルマンであり俗人だった

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京都は「ベンチャーの街」である前に、「老舗の街」である。地理的には洛外にも、酒造会社、漬物店など有名な老舗はあるが、文化的には「中」の色彩が濃い。彼らは、家業のしきたりを守ろうとする。いや、縛られているのかもしれない。このような呪縛とは無縁なのが、既成概念を打破し、これまでなかった新製品・新サービスにより、まったく新しい市場を創造していくベンチャー企業である。

「継承とは先代がやってきたことを文字通り継ぐだけ。伝統は代々が改良、革新していくものだ」と豪語する革新的な老舗の当主もいるが、しがらみにとらわれない、しがらみを気にしない、というのは「外の人」の強みである。

「中」の老舗にとって、ベンチャー企業は同じ商売をするわけではないので、ライバルにはなりえない。だから、「好きなようにやってください。応援はするけれど口は出しません」となる。京都は他府県の人に対しては排他的である、と先入観を持って見る人がいるが、意外にも「中の人」は、「外の人」の活躍を見て見ぬふりをして、その成長を大いに期待している節がある。場合によっては、エンジェル(個人投資家)、株主として資金面でサポートする。

実際、京都に戦後誕生したベンチャー企業を見れば「外の人」の存在感は大きい。それぞれの創業者の出身地を見れば明白。オムロンの立石一真氏は熊本市、稲盛氏は鹿児島市、ワコールの塚本氏は宮城県仙台市生まれの滋賀県東近江市育ち。日本電産の永守重信氏は京都府内とはいえ郊外の向日市。

常に人を好きになる、好きにさせてしまう俗人性

企業人ではない人の中にも京都に大きなインパクトを与えた「外の人」がいる。1875年(明治8年)、仏教の街・京都にキリスト教主義の同志社英学校(同志社大学の前身)を創設したのも、上州安中藩(現・群馬県)江戸屋敷(東京・神田)で生まれ育ったアメリカ帰りの新島襄氏。同じく大学関連では、京都大学ゆかりのノーベル賞受賞者は10人。その出身地を見ると「外の人」が多いことに気づく。

功成り名遂げた稲盛氏を「ジェントルマンと俗人の統合体」であると前述したが、品格が備わったジェントルマン・シップは、京都で塚本幸一氏などとの交流を重ねるうちに磨かれた。片や、常に人を好きになる、好きにさせてしまう俗人性は、稲盛氏が尊敬する薩摩(鹿児島)の英雄・西郷隆盛氏の言葉「敬天愛人(天を敬い人を愛する)」に集約される。

稲盛氏は、大学(鹿児島県立大学=現・鹿児島大学、工学部)の教授の紹介で京都の企業に就職した。新幹線もなかった時代である。鹿児島人にとっては、まさに外国のような未踏の地である。いわば、稲盛氏は「移民一世」だった。それゆえ、さまざまなカルチャーショックを受ける。

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