受験に失敗、就職難「稲盛和夫」逆境を覆す力の原点 「経営の神様」の人生は実は挫折の連続だった

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インタビューに応じる稲盛和夫氏
「経営の神様」とも称された京セラ創業者の稲盛和夫氏(写真:今井康一)
2022年8月24日に90歳で亡くなった稲盛和夫氏。京セラをたった一代で世界的な企業に成長させただけでなく、第二電電(現KDDI)の創業や経営破綻した日本航空の再建にも尽力し、「経営の神様」とも称されます。
その人生を振り返ると、若いときは挫折の連続でした。そして「その挫折こそが成功の布石となった」と、著述家で偉人研究家の真山知幸氏は指摘します。東洋経済オンラインで『近代日本を創造したリアリスト 大久保利通の正体』を連載中の真山氏による寄稿をお届けします。

典型的な「ガキ大将」タイプだった幼少期

のちに「偉人」と呼ばれる人物は、世に出るまでに大きな挫折を経験していることが多い。稲盛和夫の場合もそうだった。それも一度ではない。稲盛は何度も何度も挫折を味わい、そのたびに立ち上がってきた。

最初の挫折は、中学受験の失敗である。そんなことくらい……と思うかもしれないが、稲盛を取り巻く環境を説明させてほしい。

稲盛は典型的な「ガキ大将」タイプでリーダー的存在だった。小学校のクラスで流行っていた「戦争ごっこ」をするときも、敵と味方に分けるのは、稲盛の役割だ。また、率いる仲間のモチベーションまで考えて差配していた。当時を稲盛自身がこう振り返っている。

「腕力だけでもだめで、気迫、気力も大事。草で勲章をつくったり、おやつを配ったり気遣いもいる。せいぜい中派閥のボス程度だったが、グループをどう掌握していくかが最大の関心事だった」

経営者として名を馳せる素養を感じさせるが、稲盛は皆のリーダーらしく、勉学でも高い目標を掲げた。それは、名門・鹿児島第一中等学校を受験して合格することだ。

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