稲盛和夫「常に謙虚」貫いた偉大なる思想家の足跡 「経営の神様」はジェントルマンであり俗人だった

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ジェントルマンと俗人はあたかも、公私で使い分けた二面性と見られるかもしれないが、決してそうではない。この統合体が稲盛氏なのだ。

この統合体を語るうえで見落としてはならないのが、稲盛氏が一貫して強調していた「常に謙虚である」という心である。「恥を知ることがいちばん重要」とも。この根底には、人は弱い存在であるという哲学があってのことだろう。弱い存在だから何もできない、という意味ではなく、人生は苦節、苦闘の連続。報われるか報われないか、わからなくとも努力し続けるのが人生、という仏教思想の影響を受けていると考えられる。

近年、謙虚さを忘れて驕り、SNSで「……する人はバカ」「頭が悪いとしか思えない」と人を単純に見下すオピニオンリーダーらしき人がいる。人をバカにしている本人にバカな部分はいっさいないのだろうか。人は誰しも欠点を持っている。ある点について合理思考ができる人は、その思考に合わないと見るや否や、非合理的と見なし「バカ」呼ばわりするのはいかがなものか。それは、まさに誹謗中傷であり、人権侵害である。

ワコール創業者・塚本幸一氏との出会い

稲盛氏はシャイである。だからこそ、謙虚であり続けられたのではないか。ケガの功名なのかもしれない。しかし、シャイであれば、社交的にはなりがたい。経営者にとっては不可欠なこの資質が欠如していては、事業も拡大しない。そんな稲盛氏をどんどん引っ張ってくれた人がいる。その人のおかげで、「人脈が拡がっていった」(稲盛氏)。その人とは、ワコール創業者の塚本幸一氏である。

筆者は塚本氏および子息の塚本能交氏(ワコールホールディングス会長、京都商工会議所会頭)の2人とも何度かインタビューしている。能交氏からも創業者について、その実像を語ってもらったが、父というよりも厳しい経営者として長男に接していたという。

実際に対話した塚本幸一氏は肝の据わった人だった。第2次世界大戦時に出兵し、「骸骨街道」ができるほど多くの戦死者、餓死者を出したインパール作戦で死線を超えて生き残り、戦後、京都で日本初のブラジャーを量産・販売し、大成功した人物である。そして、京都商工会議所会頭として京都経済だけでなく文化に大きく貢献した。

塚本氏から聞いた話は、ビジネスに関する内容だけではなかった。「生き方」についていろいろと教授してもらった。「最初に稼いだまとまった金で、豪邸を建てるよりも先に先祖の墓を立派なものにした」。そして、「墓の清掃は洗剤を用いて自ら行い徹底的に磨き上げる」と語っていた。仏心が厚い人だった。

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