世界の海を知る男が故郷・鹿児島で始めた新事業 安全な観光船の背景に漁師としての豊富な経験

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「祖父は私が3歳半の頃に亡くなったんですけどもしっかり記憶があります。病床の寝床にも網を持ち込んで繕いをして、最後まで漁の心配をしながら亡くなりました。68歳でした」 

長島の海を遊び場に育った。網元の家には近所のお年寄りがよく集まって、彼らが話す歴史の話も興味深く聞いた。歴史の偉人・西郷隆盛や鎖国時代に禁を犯して海外留学へ旅立った薩摩スチューデントに憧れて、「自分も外国に行ったらきっと変われるぞと」と思った。 

小さな離島(※1974(昭和49)年に黒之瀬戸大橋でつながるまで長島は離島だった)から、遠い海の向こうの世界へ夢を抱く。 

18歳で長島を出て世界の海へ 

高校卒業後に水産会社に就職。実務経験を積みながら航海士の免許を取り、世界の海を巡った。 

初めての航海でハワイへ着いたときの感動は忘れえぬ思い出だ。暗闇に包まれた夜の海を進んでいくと、水平線の向こうにかすかな光芒が見え、光が次第に大きくなり、夜景のきらめく港と街が姿を現した。 

「何度経験してもこの入港の瞬間はたまらなかったです。ワクワクしすぎて前の晩から眠れないくらい」 

当時のイミグレーション(入港管理事務局)では、一人3個ものパイナップルを丸ごとプレゼントしていた。食べたことのないパイナップル、どう食べるのかわからずリンゴみたいに皮ごとかぶりついてみた。 

「ひどい目に遭いました(笑)。その後、ワイキキでパイナップルを搾ってくれるジュースに出会って、もう生まれてこの方味わったことのない初めての味に感動しました」 

出会う風景も人も、今までとはまったくの別世界。18歳の感受性豊かな岩﨑さんの目には何もかもがきらめいて見えた。 

「18ですから今から考えるとまだ思春期。どう生きるべきかが当時の自分には課題で、まだ慣れない英語で「What do you living for?(何のために生きていますか)」といろんな人にインタビューしました。と。すると「For enjoy my life(自分の人生を楽しむため)」と。

自分の故郷とはまったく違う世界、人、考え、価値観を揺さぶられた。

民宿えびす屋の壁に貼られた世界地図。ピンが刺さっている場所が岩﨑さんが訪れたことのある海だ(著者撮影)  

遠洋漁業の黄金時代 

岩﨑さんが水産会社にいた1970年代は遠洋漁業の黄金期であり転換期だった。 

戦後の1952(昭和27)年のサンフランシスコ講和条約発効後、日本の漁業は「沿岸から沖合へ、沖合から遠洋へ」と世界の海へ進出していった。1972(昭和47)年には年間1012万トンを水揚げして漁業生産高世界一になる(うち遠洋漁業での水揚げは約40%)。 

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