世界の海を知る男が故郷・鹿児島で始めた新事業 安全な観光船の背景に漁師としての豊富な経験

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しかし、海洋資源の利用に対する考えや沿岸国の利益の保護の観点から、沿岸国200海里内での漁業等に関する排他的な管轄権を主張する動きが強まっていった。アメリカやソビエト連邦(現・ロシア)、ヨーロッパ各国でも200海里の設定に踏み切り1977(昭和52)年は「200海里時代」の幕開けとなった。 

「カナダとソ連の間のベーリング海でズワイガニを獲っていたときに200海里問題でそこを出ることになり、会社から『新しい漁場を開拓してくれ』と言われて調査船であてのない世界旅に出ることになりました」 

その後、アフリカ沖でカニの大きな漁場を見つけた。船内の工場でむき身に処理・冷凍して、中積み船(運搬船)で陸へ運ぶ。カニの肉だけを日本やフランス、イギリス、カナダ等にも輸出していた。そのため、船の中に加工場を備えて対応した。ここで岩﨑さんは航海士だけでなく工場長の役割も担う。約4500m下の海底からカニを引き上げるため、機械も普通のギアではなく油圧式のローラーを導入したり、設備の検討・導入・手配まで担当した。 

「試行錯誤です。船の中で全部解決しなきゃいけないので、いろいろと工夫する癖がつきました」 

経験を生かして観光船運営を始める 

水産会社に10年務めた後日本へ帰国。帰りの飛行機の中では「自分の経験を生かしてほかの誰もやらないことをやろう」と決意を新たにした。故郷長島で網元4代目を継いだ後、1989(平成元年)に観光船を始めることにした。 

「魚の生態ってすごいんですよ。何でも人間が一番だと思ってるかもしれないけども、海の中に行くと私たちはとてもかなわない。誰が命令するわけでもなくあれだけの小魚の大群が一糸乱れずに方向を変えて泳ぐわけですから。ちゃんとコミュニケーションが取れてるんですよね」 

海の面白さや魅力を伝えていきたいと観光船運営に乗り出すが、当初は前例がないことや法律上の問題で行政から反対の声もあった。その時、父や地元の人、町も大きな味方になってくれて、法律面をクリアして無事スタート。 

観光船開始1年目はわずか年間500人の利用だったが、マスコミや口コミで広がり2年目は1000人、3年目は3000人、4年目は5000人と大きく客数を増やしていった。 

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