「日本の国歌」との比較で対照的なのは、天皇などの象徴的指導者ではなく「大韓人」である国民が主人公になっている点だ。
ちなみに朝鮮半島で最も愛されている伝統民謡の「アリラン」は、南北が統一されたら国歌にしたらいいのでは、と私は思っているのだが、その歌詞が「私を捨てて行く人は、すぐに脚が痛くなる」という罰せられる内容になっているのも、儒教っぽいではないか。
余談だが、歌詞の「ナルルポリゴ」(私を捨てて)を、「ナラルポリゴ」(国を捨てて)に変えれば、まさに国歌みたいな歌詞に早変わりである。
ここで「韓国の国歌」のなかに「ムグンファ(無窮花)=木槿(むくげ)」が出てくるので、次に「国の象徴的な花」も比較してみたい。
「日本を象徴する花」は、桜と菊であろう。菊はお馴染みの天皇家の象徴だ。
これに対し、「韓国の国花」は木槿であり、これは一途な心や粘り強さという意味を持つ。いつまでも咲きつづけることができるという特性から、「民衆の不屈の抵抗」を象徴していたりもする。
なお新刊『そっか、日本と韓国って、そういう国だったのか。』の表紙に描かれている2人の靴下に小さくあしらわれている花が、それぞれ菊と木槿である細かい配慮に気づかれた方には、その鋭い観察眼に拍手喝さいを捧げたい。
ともあれ、「日本の国歌や花」が天皇中心であるのに対し、韓国の象徴は他国の侵略に自ら立ち上がる、名もなき無数の「義兵」を思わせ、ここでも対照的であることが見て取れる。
「紙幣」から垣間見える、その国の「誇り」は?
もうひとつ比較してみたいのが、各国の偉人代表選手が選ばれがちな「お札」である。
日本の紙幣は現行紙幣も2024年からの新紙幣も、とくに高額紙幣に印刷される人物は明治維新のころの近代化に功績のあった人物で、武士の出身者だ(渋沢栄一は豪農の生まれだが、のちに仕官して武士になっている)。
これに対し韓国は、紙幣に近代の人は登場しない。近代化に失敗して植民地化されたので、当時のいい思い出がないからだろうか。
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