インターネットのおかげで、今では重要な論文もWEBで閲覧できます。日本では各大学の図書館が海外の出版社などと契約を結び、主要な論文は、ほぼ閲覧できます。
国によっては、一部の大学の入手したものが、無断で流通することもあるようです。こうなると、これまで書籍にかけていた費用も削減でき、予算に余裕がなくても研究は可能です。
この傾向は、厳しい財政の教育現場では、一層、拍車がかかります。一見これは、研究者にとって、良い時代になったようにも思えます。
しかし、ネットを通して知識を交換するというのは、さまざまなリスクがあります。つながっているので監視ができ、為政者にとって好ましくないものは入手させないことも可能です。また、ネット自体が遮断されると、研究の手段そのものが失われるのです。
またネットで結ばれているのは、為政者にとって便利で、不都合な結果を示唆する研究は、最初から掲載させないことも可能になります。キーワード検索で不適切な箇所を容易に発見できます。
つまり、インターネットへの過度の依存は、客観性や普遍性を探求する大学教育では研究への障害が出てきます。
やはり本が必要?
この点、書籍は分厚く場所を取り、中身を理解するまで骨が折れます。この負荷の大きい過程は、研究者にも便利ではないのですが、思考をするうえで役に立ちます。一方、検閲にも時間がかかり、ネット情報のように簡単に遮断したり、消し去ったりすることはできません。
オックスフォード大学には101もの図書館があります。このような状況だと、多くの場所に書籍が拡散されており、統制やコントロールは不可能です。
研究とは、新たな知を発見することで、これまでの知見と異なれば異なるほど価値があります。この発見には、困難な検索作業や、先駆者である教授陣との客観的な議論が欠かせません。
ネットで得られる、だれもが容易にアクセスできる情報からは、誰でもが考え付くものしか出てこないのです。
カーチャに質問をしてみました。なぜプーチン大統領の支持率は高いのでしょうか。
実は、彼が就任した2000年まで、ソ連崩壊後の混乱が続いていました。ロシアでは、行きすぎた自由がはびこり、力のあるものが権利を独占していました。ギャングのボスのような人が、暴力で利権をむさぼる状況も続きます。
一般の人は、壊れた体制の中で置き去りにされ、生活は悪くなるばかりでした。自由競争という名の下で、富の分配は行われなかったのです。
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