授業を担当して感じたのは、学問に対する熱意です。シベリアの各地方から、選抜されて集まった学生たちは、大学で得た知識で将来を切り開くために必死でした。
ここは教育大学なのですが、教師を希望する人は稀でした。多くは、卒業後は語学力などを活かして、海外の仕事を望んでいます。厳しい環境の中で、どん欲に知識を身につけていたのです。
帰国後も、カーチャとは研究の交流で連絡を取り合いました。ところが、プーチン大統領の時代が長く続くにつれ、大学の様子も雰囲気が変わってきたと言います。強い中央主権を推し進める過程で、アカデミックのコントロールも始まったようです。
大学のトップは、他の機関の長も歴任する、中央政府と良好な関係を持つ人が登用されます。次第に、自由に議論する場所というより、愛国心を育てる教育も取り入れられてきました。
「金を出すのだから、口も出す」という、為政者に都合のよい理論が、ロシアの大学にも浸食してきたようです。
拙著『オックスフォード 世界最強のリーダーシップ教室』でも解説しているように、イギリスでは、現政権の政策に関してもタブーを設けず、専門家を交えてディベートを行います。これは、今行われていることが、必ずしも未来にも適切とは言えないからです。
将来を担うリーダーたちは、過去の記録をひもときながら客観的に事象を把握し、議論を続けていきます。教授陣は、彼らが客観的観点から外れた時にだけアドバイスを送ります。
良くない連絡
その後、ロシアの大学の状況は厳しく、予算の削減が続いていました。カーチャによると、教授室の話題は、研究課題より、給料の遅配について、どう対処すべきかが中心になったそうです。ソ連邦のシステムが壊れていく中で、大学や教員への対応は後回しになりました。
為政者にとって、中立の立場をとる知識層は、経済的な利益もすぐには生まず、あまり役に立たないと思われているようです。特にこれは、教育など人文科学系では顕著です。歴史を客観的に評価する教員は、冷遇される傾向があります。実は、このような理由で、バルナウルの大学でも、教師や研究者を目指す若者は少なかったのです。
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