永守重信氏の「後継者難」に映る日本電産の泣き所 「優秀な外様」とは理想の親分子分関係を築けない
2018年3月に、京都学園大学を事実上買収し理事長に就任、京都先端科学大学へと改組した。日本電産を引き続き見つつも、大学経営にシフトしようと考えていた。この頃、筆者は永守氏に直接インタビューを申し込んだが、「大学の仕事が忙しくて」と日本電産の広報責任者から断りの電話をもらった。
今のような立派な高層ビルではなく、小さな旧本社社屋へ取材に行ったとき、広報部長が「こんな本が出たんですよ」と同社に関する書籍を見せてくれた。よほどうれしかったのだろう。急成長していたものの、永守氏も知る人ぞ知る、といった頃であった。ところが今や、メディアにも頻繁に登場する有名人になってしまった。書店には永守本が複数平積みされている。
あるジャーナリストによると、「インタビューに応じるメディアを選別するようになってきた」と言う。「1番以外は、皆ビリ」と言い続けてきただけに、自分が出るメディアも「1番」の媒体を好んでいるようだ。
永守氏は、権威主義と闘ってきた。ベンチャーだった頃、権威主義だった日本の大企業が相手にしてくれなかったので、アメリカに活路を見いだした。するとスリーエムやIBMから大量注文を獲得し、急成長のきっかけをつかんだ。
京都先端科学大学を設立したのも、「ブランド主義が大学改革の壁」という考えが根っこにあり、「偏差値偏重教育と学歴主義」を打破するためだった。このように権威主義を嫌ってきた永守自身が、皮肉にも権威主義的になってきているように見える。三顧の礼を持って迎えた「優秀な外様」はいずれも、超一流の学歴を備えた人たちばかり。京都先端科学大学にも著名な経営コンサルタントや研究者を登用している。
書店の本を見れば永守氏絶賛の嵐である。しかし、関氏の降格、退社でメディアの論調は一転して冷ややかになってきた。「厳しいが、どこか憎めない愛すべき人」は愛されなくなってきたのか。
稲盛和夫氏と永守重信氏の違い
永守氏は京セラ・創業者の稲盛和夫氏(90)を尊敬し、ロールモデルにして走り続けてきた。永守氏は、高層ビルの現本社(京都市南区)を新築するとき、建築士に頼んだ。
「ここから見えるあのビル(京セラ本社)より、1メートルだけ高くしてほしい」
稲盛さんに追い付きたいという心の表れだろう。
稲盛氏と永守氏は、「厳しい創業者」という点では瓜二つである。ただし、その表情と言葉は違う。
稲盛氏の表情は、1997年に臨済宗円福寺の西片擔雪の下で在家得度したこともあり、仏のごとく柔和である。声を張り上げることなく、優しく語りかける経営論も、僧侶の法話を聴いているようだ。このときの稲盛氏を見ていると、烈火のごとく役員、従業員を叱責する姿は想像できない。
対して永守氏は、マイクも要らないほどの大きな声と、わかり易い表現で永守節を機関銃の如く連発する。話す内容は、徹底したリアリズムである。社内で檄を飛ばしている姿が思い浮かぶ。
厳しさをオブラートで包む稲盛氏、厳しさをさらけ出す永守氏。
稲盛氏は人生、経営の大先輩だけに一枚上手なのか。永守氏は正直すぎるのかもしれない。その点は変わっていないようだ。
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