やる気ない部下を嘆く上司のほうが実はダメな訳 本当に必要なのは「やる気」ではなく「やる理由」

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逆に「やる理由」がわからないことを続けることは、人間にとってはとても苦痛なことです。どんなに苦しい拷問よりも人間が一番精神的に追い詰められるのは、「穴を掘れ」と言われて自分で掘った穴を、今度は「埋めろ」と言われ、それを埋めたらまた「穴を掘れ」と言われて、穴を掘り……という作業を繰り返すことだと言われています。

「賽の河原」というあの世の苦行でも同じことが言われていますね。石を積み重ねて、積み重ねた側から鬼がやってきてその石を壊す、ということを何度も繰り返す。

このように、やる理由がわからずに意味がないと思うことを繰り返しやらないといけないときが精神的に一番つらいのです。

やっているうちにやる気が見えてくる場合もある

そもそもやる気は、やっているうちに見えてくる場合も多いです。

例えば、運動部に入った学生が、練習はまだしも、走り込みや筋トレのときにやる気にあふれているということはなかなかないように思います。ただ、それが成果に結びついていることが実感できれば、やる気が出てくるようになります。

だから、走り込みをしている人に対して「楽しいだろ!やる気を出せ!」と言っても意味がありません。必要なのは、その走り込みがいったい何につながっているのか、筋トレの意味を教えることではないでしょうか。

今は変化の激しい時代だと言われています。これまでの常識が通用せず、「こうすれば売れる」みたいな黄金ルートがあるわけでもありません。これからは「指示を待って」「教えてもらったとおりに」やる時代ではなく、もっと個々人が「どうやって仕事をするのか」を自分で考えていかなければならない時代だといえます。

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