「甲子園夢プロジェクト」が導いたある若者の一歩 たった一打席だが野球のダイバーシティを実現

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しかし、1人しかいない部に学校として予算をつけることは難しい。ユニフォームや用具はすべて自己負担。愛知県高野連への加盟料も林さんが支払った。部員数が増えれば状況は変わるかもしれないが、経済負担は小さくはなかった。

久保田さんと林紀成さん
「甲子園夢プロジェクト」の久保田教諭(左)と林紀成さん(筆者撮影)

部員は1人だけだから、他校と「連合チーム」を組むことになる。話し合いの結果、一色、加茂丘、衣台、御津の4校の連合チームに、豊川特別支援学校が加わることになった。

筆者はこの連合チームが非常に良かったと思っている。高校野球の連合チームの中には、キャッチボールもままならないようなチームもある。

そういうチームでは「野球をする」意義を感じるまでには至らない。しかしこの連合チームは選手数こそ足りないが、投げる、打つ、守るの基本的な技術は備えていて一定以上のレベルだった。連合チームを率いた衣台高の大見翔監督は、適性を見極めて選手を起用していた。

林龍之介君については「1人だけだから、普段は守備の練習ができない。合同で練習するときは少しずつ慣れてもらうようにしているが、試合では代打ということになるだろう」と語った。

連合チームで甲子園の予選への参加が決まったのは5月。29日から合同練習に参加することになった。「初めて連合チームに合流する2日前だったと思います。龍之介が突然泣きだしまして、本当に自分が行っていいのか、というんです。健常者の方たちに混じってやることに対して、かなり恐怖感というか、不安があると。僕は、本当に嫌だと言うのなら仕方がない、
君が楽しくないといかんでね、明日の朝にでももう一度考えようか。と話しました。で、当日は、彼の意思で練習に参加したんです」

龍之介君の父、紀成さんは語る。昨年から取材していて、知的障碍者が健常者に混じって同じスポーツをするのは、簡単ではないと感じている。

慶応の選手と夢プロジェクトのメンバーに連帯感も

今年4月、「甲子園夢プロジェクト」と慶應義塾高校野球部の対面練習会が行われた。夢プロジェクトのメンバーは朝、日吉の慶應グラウンドに集合し、慶應の2年生選手たちと対面したが、両者の表情は硬く強張っていた。しかし、マンツーマンでの練習を開始すると障碍者の選手たちも、慶應の選手も次第に打ち解け、同世代の「野球好きの若者」同士になっていった。

慶應高校での対面練習会
慶應高校での対面練習会(筆者撮影)

しかしこれは「自然な成り行き」だけでそうなったわけではない。慶應義塾高の森林貴彦監督は、事前に久保田教諭やプロジェクトメンバーも参加するリモートミーティングを開き、選手に意図や目的を十分に理解させていた。

だから練習会はスムーズに進み、最後は、慶應の選手と夢プロジェクトのメンバーに「連帯感」のようなものもできたのだ。

ある2年生選手はこう語った。「危なくて硬式野球はやらせられないという理由で部を作ってくれないという話を聞いた時は、正直自分も学校の先生ならそう考えるなと思った。けど一緒に練習していて、自分たちと同じことがふつうにできる選手もいたし、部を作ってほしいという気持ちになった」

受け入れる側の理解がなければ、この挑戦はうまくいかない。今夏の甲子園予選で、ノーシードの慶應は第1シードの桐蔭学園を破ったが、本当の「文武両道」とは、こういうことではないか。

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