「甲子園夢プロジェクト」が導いたある若者の一歩 たった一打席だが野球のダイバーシティを実現

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さて、林龍之介君は連合チームの練習に参加し、練習試合も何試合かこなした後、小牧球場の選手権愛知県大会に臨んだ。当初は7月9日の予定だったが、天候不順が続き、試合は15日になった。林君は「豊川SSS」と胸に書かれたユニフォームでグラウンドに飛び出した。守備は無理だと聞いていたが、試合前のシートノックでは右翼を守って打球を処理していた。

対戦相手は愛知県立一宮西高。甲子園出場はないものの、かつては準々決勝まで進んだことがある。試合は3回表に一宮西に1点が入ったが、4回裏、連合チームは集中打に敵失もあって4点を取って逆転。筆者はカメラマン席で隣のテレビクルーと「ひょっとしたら勝つかもね」と笑顔を交わした。しかし一宮西は5回表に本塁打などで4点を取って逆転。守勢に回ると連合チームは連携が十分でなくもろい。続く6回表に10点を取られる。

9番が林龍之介君
9番が林龍之介君(筆者撮影)

規定では5回以上で10点差がつけばコールドゲームだ。その裏、連合チームの大見翔監督は林君に急遽、「バットを振っておけ」と指示。林君はベンチ裏のブルペン横でバットを振り始めた。

二死になって「代打林君」のアナウンスがあり、左打席に立った。2球続けて空振り。3球目、林君が見逃したボールは捕手のミットに収まり、主審は「ストライク」のコール。林君の、そして「夢プロジェクト」の最初の挑戦は、この瞬間に終わった。

野球を楽しむことができました

試合後、球場外でテレビカメラと報道陣が林君を囲んだ。「初めて試合に出た感想は?」向けられた多くのマイクに、林君は小さな声ながら落ち着いた口調で「ここまで来ることができたのは、夢プロジェクト、豊川特別支援学校、連合チームなどの皆さんの支援があったからです。そのおかげで打席に立つことができました。ヒットは打てませんでしたが、野球を楽しむことができました」

報道陣の取材に応じる林君(筆者撮影)

堂々とした、立派なアスリートの言葉だった。

父の紀成さんは語る。「2か月足らずの間に成長したなと実感しています。健常者と障碍者を区別するのは良くないけど、障碍のある子供だけではできない経験をして、殻を破ったんじゃないでしょうか」

龍之介君は「2ストライクから1球外してくるのかなと思ってバットを振らなかったのは悔いが残ります。でも、2か月間本当に楽しかった」すがすがしい声だった。

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