「豊臣秀吉=虐殺者」韓国人がまだ許せない深い訳 反日は「400年」、嫌韓は「1300年」遡る理由は?

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この戦いは、かつては日本国内では豊臣秀吉や加藤清正が「英雄扱い」されることも多かったが、朝鮮側としては「民間人、女性、子どもも大量に虐殺された悲劇」として歴史に深く刻まれている。

軍神が祀られる神社に感じた違和感

当時、日本には戦功を示すために首を持ち帰る習慣があった。しかし、外国から首を持ち帰るのは重くてかさばるので、耳や鼻を削いで、何万人もの耳と鼻を塩漬けにして日本に持ち帰った。

それを埋めた耳塚が、秀吉を祀る京都の豊国神社のすぐ傍にいまでもあるのを、ご存じであろうか。とくに悪名高いのが、秀吉軍が老若男女、赤子に至るまで大虐殺した「南原(ナムウォン)城の戦い」である。

私は実際に、本書執筆期間中にはじめてこの耳塚を訪問したのだが、妻や子ども、家族が耳や鼻を削がれているシーンと、その鼻をサムライが数えているシーンを想像して、花が飾ってある塚を前にしばらく頭を垂れ、犠牲者の冥福を祈ったものである。

同時に、この耳塚のすぐそばに秀吉が神様として立派な神社に祀られていることに、正直怒りを感じたものだ。

当時、秀吉の軍の従軍僧として戦地に渡った慶念(きょうねん)が記した『朝鮮日々記』には、秀吉軍による略奪・殺人・焼き討ちが地獄のようであり、道が無数の死人で溢れ返り、二度と見るべきでない惨状だと記されている。

なお「文禄の役」では、7万人もの人々が秀吉の指示によってほぼ皆殺しにされたという記録もある、「第二次晋州城の戦い」で命を失った人々は、いまも晋州城で厳粛に追悼されている。

私はこの原稿を書くためだけに、コロナ禍のなか、わざわざ晋州城まで行き、中を見てきたくらいである。

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