中国BYDを侮る人は大波乱の条件をわかってない 日本参入、ゲームチェンジの歴史は繰り返すか

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コンパクトEV「DOLPHIN」(写真:BYDニュースリリースより)
「DOLPHIN」の内装(写真:BYDニュースリリースより)

「何百万円も出して中国車を? ありえないよ」

今の段階ではそう考える人が多数派ではないでしょうか。

中国製の自動車が日本人の意識を変えていくことができるか? 時代の変化を予測する際には「歴史は繰り返す」ということを念頭に未来を予測する手法が有用です。実際にやってみましょう。

みなさんはメイド・イン・チャイナという言葉にどのようなイメージを持っているでしょうか?それも日本メーカーが中国の工場で生産した商品ではなく、中国メーカーが中国で製造した純粋なメイド・イン・チャイナの製品をどう考えますか?

実はメイド・イン・ジャパンもかつて同じイメージで欧米の消費者に受け止められていた時代がありました。終戦直後の1950年代にはメイド・イン・ジャパンは「安かろう悪かろう」の代名詞のように思われていました。ところが勤勉な日本人の努力で1960年代にはそのイメージが変わり始めます。日本の自動車メーカーによる国産車が実力をつけてきたのもこの時代です。

大阪万博が開催された1970年になると日本人から見れば日本製品は世界市場で競える優秀な商品まで実力が向上した一方で、海外から見ればまだメイド・イン・ジャパンでしかない。特に1970年の日本車はその性能の良さの割には、アメリカでの評判は高くはありませんでした。

オイルショックが変えた風向き

その風向きが大きく変わったのが1974年のオイルショックです。ガソリン価格の急騰を受けて「ガソリンがぶ飲み」と呼ばれるほど燃費が悪かったいわゆるアメ車の問題点が浮上し、コスパが良いという観点で日本車の人気が高まったのです。このオイルショックを機にメイド・イン・ジャパンのブランドイメージがアメリカ市場で「安くて高性能」に変わります。

そこから先の変化は劇的で1970年代後半に日本車の対米輸出は急増し、1979年にビッグ3の一角であるクライスラーが経営危機に陥ります。1980年にはアメリカの通商法201条に基づく輸入制限が議題にあがり、最終的には日本政府と自動車業界が輸出台数の自主規制を約束することでアメリカ市場からの締め出しを回避することになります。

これは私がリアルタイムでその時代を知っているからわかるのですが、1970年には日本車などアメリカ人は見向きもしなかったのです。それが5年後にはブームとなり、10年後の1980年には手のひらを返したようにアメリカ経済界が日本車を恐れるまでになりました。

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