医師が解説「心肺停止は死とは異なる」という真意 ドラマで心電図の波が平らになるというのは…

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確かに、1997年に施行された臓器移植法(臓器移植の促進のため、2009年に同法は改正されています)では、脳死が細かく規定されました。

呼吸などの生命活動をつかさどる脳幹という部分を含む脳の全部が、元に戻らない状態(不可逆的な状態)まで機能を消失してしまった状態をそう呼んでいます。「深昏睡」、「脳幹反射の消失」、「脳波平坦化」、そして「自発呼吸の消失」という4つの医学的事項が脳死の要件として定められています。

ごく平たくいうと、脳が動いていない、(脳の一部である脳幹が働いてないので)呼吸もできない、ということです。しかし、これらはあくまでも「脳死」のルールです。

しかし、本来、脳死よりも広い範囲であるはずの「死」は、日本の法律の世界ではルールがありません。諸外国でも死に関するルールにはまだまだ整備な点はあるのですが、日本と比較すると、少なくとも「脳死=死」として整理できている国が多いことを付け加えておきたいと思います。

医師が行う死の判定

上述した脳死の判定の4事項については、医師がどうやって判定するかが細かく規定されています。

一方、「死の判定」は法的には細かく規定されておらず、医師が慣習的に行っているものですが、心臓と呼吸、瞳孔の3徴候を確認するのが通例です。

その1つである「瞳孔を見る」というよく知られた手技も、患者さんの目にペンライトを当てると反応性に瞳孔が閉じる(と生きている)という単純なもので、そこだけを取り出せば小学生にもできるでしょう。

むしろ大切なのは、そういう判定の要素を組み合わせて最終的に1人の人間の状態を「死んでいる」と決めてしまう――つまり「死の宣告」をするという行為は、医師免許を持ち、医学部や研修医の修練期間を経て、職業としての覚悟を身につけた者にしかできないという点だと思えます。

筆者の体験としても、担当していた患者さんの死を初めて診断したのは、医師になって半年くらい経過した東大病院の放射線科病棟でした。そのときは、技術的に迷うような状況はなかったのだけれども、それでも自分が宣告の当事者になることは、大きな河を超える行為でした。

宣告の声を発する瞬間、スタッフの皆が慌ただしく動くなかで、病室のすべての音が自分の耳には届かなくなるような、不思議な感覚に陥ったことを憶えています。

死の判定が医師に委ねられていることは、副次的にさまざまな状況をももたらします。

重要な人が亡くなったときに、その死がいつであるかは大きなことです。相続や、会社の跡継ぎなどを考えるとわかりやすいかもしれません。由緒正しい家柄で、跡継ぎ候補の子どもが何人もいるのに、法的に有効な遺言状が残せず、財産の配分や家督の相続をちゃんと決めることなく、一家の主がいきなり亡くなってしまったりとか、ワンマン会社で、後継者を指名するまでに創業社長が亡くなったりとか、そういう具体的な光景を考えてもらえれば、理解しやすいのではないでしょうか。

下世話な話として、医師が死の判定をするときに、家族の意見を取り入れたりすることはあるのか、と聞かれることがあります。医師の1人として申し上げると、そういうことはありませんし、また、あってはならないことだと思います。

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