「吉田拓郎」のいったい何がそんなに凄かったのか 音楽ファンから高くリスペクトされる理由

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1970年。大阪万博の喧騒から遠く離れて、団塊世代と呼ばれる戦後生まれの若者たちが荒れ地に立っている。彼(女)らには、歌謡曲や演歌、GS、カレッジフォーク、反戦フォークなどが、どうもしっくりと来ない。

そこに吉田拓郎という青年がやってきて、これまでに聴いたこともないようなコトバとメロディで歌い出した。若者たちは熱狂した。熱狂するだけでなく、自らもギター片手に吉田拓郎の歌を歌い始めた。荒れ地は肥沃に耕され、新しい若者音楽の陣地となった。

隣では、井上陽水という名の、吉田拓郎より少しばかり暗い表情の青年も歌い出し、それに惹かれた少しばかり暗い表情の若者たちも集まって、陣地が広がった。さらに矢沢永吉という青年が、英語混じりのロックンロールを歌い出し、不良少年たちが集まってツイストを踊りだして、さらに陣地が広がった。

Jポップの礎を作った吉田拓郎

そんな、1940年代後半生まれの青年たちが作った陣地に、浜田省吾、山下達郎、松任谷由実、桑田佳祐、佐野元春ら1950年代生まれの若者たちが、個性的なアトラクションを作っていく。さらに次世代が、ところ狭しと新アトラクションを競い合い、巨大なテーマパークが出来上がる。その名前は「Jポップ」という――。

吉田拓郎がいなければ、どうなったのだろう。テーマパークの完成がどれだけ遅れて、どれだけツマラないものになっただろう。逆に言えば、吉田拓郎の功績は、彼の新譜タイトルになぞらえて言えば、日本の音楽界を『ah-面白くした』ということに尽きるのだ。

(文中敬称略)

スージー鈴木 評論家

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すーじー すずき / Suzie Suzuki

音楽評論家・野球評論家。歌謡曲からテレビドラマ、映画や野球など数多くのコンテンツをカバーする。著書に『イントロの法則80’s』(文藝春秋)、『サザンオールスターズ1978-1985』(新潮新書)、『1984年の歌謡曲』(イースト・プレス)、『1979年の歌謡曲』『【F】を3本の弦で弾くギター超カンタン奏法』(ともに彩流社)。連載は『週刊ベースボール』「水道橋博士のメルマ旬報」「Re:minder」、東京スポーツなど。

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