1970年代前半の吉田拓郎がもたらした最大の功績は「本質的な自作自演の確立」だ。作詞・作曲・歌を1人でこなすという、つまりは、現在のJポップ市場の核を成す自作自演音楽家=いわゆる「シンガーソングライター」の嚆矢(こうし)としての吉田拓郎。
もちろん吉田拓郎以前にも、作詞・作曲・歌を1人でこなす音楽家は存在した。ただ、吉田拓郎の場合は、歌詞とメロディの両面に、他の誰でもない、借り物でもない、あくまで自分ならではの強烈過ぎる個性を放っていた。つまりは「本質的な意味での自作自演」だったのだ。
まずは歌詞。象徴的なパンチラインは、デビュー曲『イメージの詩』(1970年)の中で高らかに宣言される「♪古い船を 今 動かせるのは 古い水夫じゃないだろう」。
学生運動などに大きく揺れる時代を表現しながら、それ以前の「反戦フォーク」による直截的な文字列に比べて、より文学的/抽象的で、幾重にも解釈の幅が広がり、結果、多くの若者の気持ちをがっちりと掴み取った。
日本音楽界のどこにも存在しなかった言語感覚
また大ヒット曲『結婚しようよ』(1972年)の「♪僕の髪が肩までのびて 君と同じになったら 約束どおり 町の教会で結婚しようよ」では、結婚というライフイベントを、家と家による保守的な因習としてではなく、自分たちらしく気楽に捉えるんだという、新世代(≒団塊世代)による新価値観に溢れている。
広島から出てきた無名の若者が世に問うた、それまでの日本音楽界のどこにも存在しなかった言語感覚。吉田拓郎によるこれら「本質的な自作自演コトバ」の延長線上に、桑田佳祐や奥田民生がいると、私は考える。
続いてメロディ。こちらは、先鋭的な歌詞とは逆に、とても人懐っこく、口の端にのぼるもので、だからこそ、当時の若者の中で一気に浸透した。
具体的に言えば、先の『イメージの詩』『結婚しようよ』は、両方ともペンタトニックスケール(五音音階=ド・レ・ミ・ソ・ラ)で出来ている。詳細は省くが、世界中の民謡や日本の演歌でも多用される土着的な音階で、だからこそ、気楽に鼻歌でも歌えるような、普段着感覚のメロディになる。
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