京都人特有の「あうんの呼吸」が生まれたワケ 京都の人が持つ「格式と特権意識」のルーツとは

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京都人が「よそもん」を嫌う理由について述べてきたが、実は京都の中にも格式が存在する。16世紀後半の安土桃山時代になると、天下人となった豊臣秀吉によって京都の市街地が御土居(おどい)と呼ばれる土塁でぐるりと囲まれ、各入口には関所が設けられた。京都の中心地を洛中、その周辺部を洛外と呼ぶが、この2つの境界が明確になったのがこの秀吉の御土居の造営だった。そして同じ京都でも、洛中と洛外では意識の差がある。京都の嵯峨野出身の風俗史研究家・井上章一氏は、著書『京都ぎらい』(朝日新書)の中で、洛中の人の中には洛外の人を見下す人が少なからずいると記している。

「洛中的中華思想」

それだけではない。たとえ洛中であってもエリアによって暗黙の格式が存在する。井上氏は、中世以降にメインストリートになった室町通沿いにもともと住む人々はほかのエリアの人々に対して優越感を持っているという。そして、こうした洛中の人々の意識を井上氏は「洛中的中華思想」と呼んだ。つまり、室町通を中心にそこから離れるほど、格下と見られるというのだ。

平安京造営当時において、エリアの格式は明確だった。格式は、天皇が住む北部が高く、南部が低い。つまり一条から九条はそのままエリアの等級にもなったのだ。また中央の朱雀大路に近いほど、優良地とされた。ところが、右京では治水の失敗によって平安京が造営されてから100年ほどで荒廃し、人々は左京に移り住むようになった。中世においては上京と下京で市街地が形成されたが、この上京と下京を結ぶメインストリートとなったのが、室町通である。室町通は、京都を支える大動脈として、特権的な通りとなったのである。

では、京都において最も「格が高い」エリアはどこなのだろうか。京都の地価を見てみると、三条通・四条通の間の東部エリアが特に高く、洛外は祇園エリア周辺を除いて洛中と比較して地価は安い。

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