京都人特有の「あうんの呼吸」が生まれたワケ 京都の人が持つ「格式と特権意識」のルーツとは
仲の良い夫婦や親友同士が、少ない言葉でも充分に意図を伝えられるように、京都人は何代にもわたって文化や常識を共有している。だからこそ、あえてはっきりと物事を示さなくても「あうんの呼吸」でコミュニケーションを取れるのである。そして、この京都人同士だけで通じるコミュニケーションは、「よそもん」を区別することに役立つ。
「いけず」は京都人のアイデンティティから生まれた
京都人がこれほどまでに排他性を持っているのは、実は京都が京都であり続けるあるために必要なことだ。延暦13(794)年に平安京が造営されたことで、「都」としての京都の歴史がはじまる。平安京の造営の際には、中央や地方を問わず都市の人々や農民から徴収した税金が用いられた。また実際の造営工事においても労働力として多くの人々が従事させられた。
多大な税金と労力を費やして築かれた平安京だが、では朝廷や貴族、平安京で暮らす人々、つまり京都人が、地方に恩恵をもたらしたかというと、そのようなことはない。このような不公平な関係性が成り立つためには、京都が農村とは異なる優秀で進歩した地域であることが前提となる。
河川の氾濫が多く人が住むのに適さなかった京都盆地は、海や琵琶湖からも離れており、これといった名産も資源もなかった地域である。それにも関わらず平安京が常に農村よりも優位に立ち、農村の負担によって成り立っていたのは、何代にもわたって培われた文化力があったからだ。
京都は、ほかの地域よりも優れた生産物がないからこそ、唯一の武器である文化を保持する必要があった。もし、農村部や外部からの人間を簡単に受け入れてしまえば、京都の文化的なオリジナリティは失われ、外部の都市や農村との違いが希薄化してしまう。京都人が「いけず」なのは、単に頑迷な保守性を持っているのではなく、京都がそのほかの地域よりも優れた地域としてあり続けるための必要不可欠な生存行為なのである。
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