源頼朝が重用「梶原景時」力握ったのに没落した訳 頼朝の死からわずか1年で鎌倉から追放

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北条氏が景時追い落としに裏で絡んでいたと考えることもできよう。景時は、頼家の右腕でもあり、かつまた、朝廷の実力者・源通親と親しかったといわれている。

頼家は、独裁的な手法で幕政を運営しようとしたが、それは多くの有力御家人にとっては煙たいことだった。景時はそんな頼家の右腕たらんとした。そうなると、他の有力御家人と衝突するのは目に見えている。景時弾劾状は、11月12日に頼家のもとに届けられる。頼家はそれを景時に渡し、「内容の是非について弁解するように」伝える。

源頼家からも見放された梶原景時

ところが、『吾妻鏡』によると、景時は何も弁解せずに翌日、一族を率いて、相模国一宮に下向してしまう(三男の景茂だけは鎌倉残留)。そして、12月18日には、景時の鎌倉追放が決定される。景時の邸は破却されることになるが、それを奉行したのは、和田義盛と三浦義村だった。

景時は頼家からも見放された形となった。翌年1月、景時は相模国から京都に向かおうとする途上、駿河国において、地元の武士と戦闘になり、落命する。駿河国の守護は、北条時政であった。このことも景時打倒の裏に北条氏の関与があったのではとの見解を補強するものかもしれない。

東国において逼塞(ひっそく)した景時は、まずは西国(京都)に向かい、幕府に反旗を翻そうとしたのだろう。しかし、目的は達せられることなく、景時とその一族は無念の死を遂げた。

濱田 浩一郎 歴史学者、作家、評論家

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はまだ こういちろう / Koichiro Hamada

1983年大阪生まれ、兵庫県相生市出身。2006年皇學館大学文学部卒業、2011年皇學館大学大学院文学研究科博士後期課程単位取得満期退学。専門は日本中世史。兵庫県立大学内播磨学研究所研究員、姫路日ノ本短期大学講師、姫路獨協大学講師を歴任。『播磨赤松一族』(KADOKAWA)、『あの名将たちの狂気の謎』(KADOKAWA)、『北条義時』(星海社)、『家康クライシスー天下人の危機回避術ー』(ワニブックス)など著書多数

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