泥沼の戦争で糾弾の政治家が民衆を高揚した言葉 ペロポネソス戦争の記録が教える普遍的な教訓

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都市は個人の苦しみを背負うことはできるが、個人は都市全体の苦しみを背負うことはできない。それゆえ諸君らは身勝手なふるまいをやめ、この窮状を終わらせるべく一致団結しなければならない。

諸君らは戦争を扇動したとしてわたしに腹を立て、それに同意した同胞たちにも腹を立てている。そして自らの身の上を嘆くことで集団の復元力を犠牲にしている。

諸君らがわたしに腹を立てているのだとしても、何をすべきか理解し、それを言葉にできるという点でわたしは秀でた存在であり、汚職とも無縁の愛国者だ。

何をすべきか理解していても、それを言葉で表現することができなければ、何をすべきか理解していないのと同じである。

また、両方の資質を兼ね備えていたとしても、都市に対して敵意を抱いていれば、その利益の擁護者としてふるまうことはできない。一方で真の愛国者であっても、賄賂の誘惑に打ち勝てないのであれば、いずれは国家そのものを売り渡してしまうだろう。

つまり諸君らがわたしにこれらの資質が多少なりとも備わっていると判断し、それを戦争を決議した際の拠りどころとしたのであれば、わたしは道を誤ったとして非難されるいわれはないのである。

個人の悲しみは脇に置いて、都市を救うために動きだせ

物事が万事うまくいっていて、選択肢が豊富にある状況であれば、そもそも戦争をする必要などまったくない。

一方、与えられた選択肢が、降伏して支配を受け入れるか、それとも勝利の望みに懸けて危険に立ち向かうかであれば、敵と対峙することを避けて危険から逃げ出すことこそ、最も非難されるべき選択だ。

わたしは考えをいささかも変えていない。揺らいでいるのは諸君らのほうだ。物事が万事順調だったあいだはわたしを支持していたのに、いざその身に害がおよぶと、とたんに文句を言い始める始末だ。

次ページわたしの政策の最大の欠点は、諸君らの意志の弱さにある
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