泥沼の戦争で糾弾の政治家が民衆を高揚した言葉 ペロポネソス戦争の記録が教える普遍的な教訓

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今やわたしの政策の最大の欠点が、諸君らの意志の弱さにあるのは明らかである。

諸君らは政策に伴う痛みに耐えているだけで、真の報酬が何であるかを理解していない。かくも短いあいだに大きな運命の変転を経験したため、自ら選んだ進路を保つ勇気を失ってしまっている。

人間の魂は、予期せず前代未聞の事態に直面すると、たちまち力を失ってしまうものだ。それが諸君らの身に起きていることで、とりわけ疫病(紀元前431年にアテネで大流行した感染症)の影響は大きかったに違いない。

それでもなお、諸君らは偉大な都市の住民なのであり、それと同じくらい偉大な信念の下で育てられた。己の立場を守りたいのであれば、どんなに困難な状況におちいっても、耐え忍ぶ意志の強さを持たなければならない。

人間というものは、意志の弱さゆえに名声に見合う生き方ができない者を非難する一方で、身の丈を超えた大望を抱く者を軽蔑する。今は各々の悲しみは脇に置いて、都市全体を救うために何ができるのかを考えるときだ。

他国に圧政を敷いている自覚を持て

都市の名声は帝国によってもたらされたものなのだから、それを享受する諸君らが都市を守るために身を捧げるのは当然のことだ。その責任を放棄しながら、名誉の分け前にあずかろうなど言語道断である。

また、この大戦は単なる自由のための戦いでもなければ、隷属に対する抵抗でもない。これは帝国の存亡を懸けた戦いなのであり、我々の支配が育むことになった敵意に満ちた憎しみとの戦いでもあるのだ。

諸君らがこの状況を恐れ、高潔な市民を演じて戦いへの干渉を避けようとしているのだとしても、もはやその選択肢は残されていない。我々が築いた支配体制は、暴政に等しいものだ。

次ページ1人の人間が責任を放棄すれば、別の人間の支えが必要になる
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