敗戦した日本軍の描写が今の日本と似る事の意味 歴史に学んで日本的組織の弱さを考え直す
いつも愛想笑いを浮かべて、家に出入りしていた、御用聞きの男が豹変していた。山本があっけにとられて見ていると、「その視線を感じた彼は、それが私と知ると、何やら非常な屈辱を感じたらしく、「おい、そこのアーメン、ボッサーッとつっ立っとらんで、手続をせんかーッ」と怒鳴った。そして以後、検査が終わるまで終始一貫この男につきまとわれ、何やかやと罵倒といやがらせの言葉を浴びせ続けられたが、これが軍隊語で「トック」という、一つの制裁的行為であることは、後に知った」。
そしてその御用聞きは中佐に対しては「もみて・小走り・ゴマすり・お愛想笑いと、自分を認めてほしいという過大なジェスチュアの連続であった」。
この「一瞬の豹変」を「事大主義」として、いかにも日本人的現象と分析していくわけですが、これは伊丹万作なんかもしょっちゅう言っていますし、また、丸山眞男の言う「亜インテリ」より少し下になると思いますが、軍というものは、国家が戦争中でなければ、おそらく一生、人さまに命令など下せなかった人たちを浮上させます。
そのように浮かび上がってきた人々を、平時において上流・中流階級の側にいた人々が揶揄的に批評するのは、もちろん一つの語り方なのですが、それに「事大主義」という言葉をあたえて書くというのがすごいですよね。
日本的組織はこういうふうにできている
奥泉:ほかにも「だれも知らぬ対米戦闘法」の章とかは本当に面白いですよね。1943(昭和18)年8月の中頃に「本日より教育が変わる。対米戦闘が主体となる。これを「ア号教育」と言う」と区隊長から聞かされる。いまごろになって? と山本は衝撃を受ける。「危機は一歩一歩と近づいており、その当面の敵は米英軍のはず。それなのにわれわれの受けている教育は、この「ア号教育」という言葉を聞かされるまで、一貫して対ソビエト戦であり、想定される戦場は常に北満とシベリアの広野であっても、南方のジャングルではなかった」。
昭和18年8月になってようやく対米戦争に教育方針を変えると決定される。でも、結局は変えられなかった。なぜ変えられないかが分析されて、一つの結論として、「私には連隊のすべてが、戦争に対処するよりも、「組織自体の日常的必然」といったもので無目的に〝自転〞しているように見えた」。これですね。