闘病3年、享年38歳の彼女が完治信じて紡いだ言葉 末期がんにより35歳で余命1年宣告、夫が記録守る

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ギリギリまで苦しんだ末、最終的にはステントと腎ろうを受け入れた。腎ろう造設手術は3月17日。誕生日の翌日だったが、38歳になったことに言及する余裕も持てないほどだった。

「私の今の気持ちを何回かに分けて綴っていきます」

腎ろう造設手術は成功したが、朦朧とした意識が回復して口述での投稿ができるようになるまでには1週間を要した。そこから5回にわたり「私の今の気持ちを何回かに分けて綴っていきます」と題した日記をアップする。心境は、大きく変わっていた。

<とにかく今日現時点で私が最も重視していること、それは「一分一秒でも多く気持ち良く過ごす事」です。その部分に於いてかなり私の考え方や態度が変わったかも知れません。今までずっと少しでも良くしよう良くしようという考えが頭の片隅に常にあったので、大した事ではないけども常にちょっと頑張っていたと思います。ところが数日前ある看護師さんの「もう頑張らなくて良いのですよ」という一言で完全に全ての力を抜いてみたのです。そしたら本当になんと楽なこと楽なこと。>
(2008年3月26日「私の今の気持ちを何回かに分けて綴っていきます・・・(その2)」)
3月下旬に5回にわたって投稿された「私の今の気持ちを何回かに分けて綴っていきます・・・」シリーズ

手術後に意識が回復すると、「頭を完全に『無』の状態にしたいという欲求」が強烈に起こり、しばらくは思考も、家族との会話も、テレビも音楽もすべてシャットアウトしたという。一連の日記はそこから回復した直後に書いたものだ。絶望的な情報が示されても強烈な苦痛や機能低下が生じても、何とか可能性を探して完治を前提に頑張ってきた。そうした姿勢に疲れたのかもしれない。

状況から判断して、長くは持たないであろうことは受け入れた。もうブログが「復活の記録」にならないであろうことも認めた。ただ、そうはいっても完全に切り替えられるものではない。その揺らぎがこれから数カ月続くことになる。

<今日のブログは完全に敗北宣言をした内容になってしまいましたが、まだ心のどこかで完全に人生諦めた訳ではないので、どうぞ皆さんこれからも宜しくお願いします。しかし、実際には現実は厳しいものであり、現実から目を逸らしてばかりいてもしょうがないのも事実です。とにかく全ての事が余りにも複雑でセンシティブな事なのです。そういったもろもろな複雑な私の素直な想いをこのブログを通じて皆さんにお伝えしたいというのが私の一番の希望であり、ですから時間の許す限りたとえ主張が首尾一貫していなくとも、内容が支離滅裂であろうとも、こうして書いているのです。>
(2008年4月8日「人生の引き際を考えてみました」)
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