ギリギリまで苦しんだ末、最終的にはステントと腎ろうを受け入れた。腎ろう造設手術は3月17日。誕生日の翌日だったが、38歳になったことに言及する余裕も持てないほどだった。
「私の今の気持ちを何回かに分けて綴っていきます」
腎ろう造設手術は成功したが、朦朧とした意識が回復して口述での投稿ができるようになるまでには1週間を要した。そこから5回にわたり「私の今の気持ちを何回かに分けて綴っていきます」と題した日記をアップする。心境は、大きく変わっていた。
(2008年3月26日「私の今の気持ちを何回かに分けて綴っていきます・・・(その2)」)
手術後に意識が回復すると、「頭を完全に『無』の状態にしたいという欲求」が強烈に起こり、しばらくは思考も、家族との会話も、テレビも音楽もすべてシャットアウトしたという。一連の日記はそこから回復した直後に書いたものだ。絶望的な情報が示されても強烈な苦痛や機能低下が生じても、何とか可能性を探して完治を前提に頑張ってきた。そうした姿勢に疲れたのかもしれない。
状況から判断して、長くは持たないであろうことは受け入れた。もうブログが「復活の記録」にならないであろうことも認めた。ただ、そうはいっても完全に切り替えられるものではない。その揺らぎがこれから数カ月続くことになる。
(2008年4月8日「人生の引き際を考えてみました」)
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