闘病3年、享年38歳の彼女が完治信じて紡いだ言葉 末期がんにより35歳で余命1年宣告、夫が記録守る

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みづきさんが生まれたのは1970年の東京。大学卒業後は銀行に就職し、営業の仕事に7年間従事した。2000年にKさんと結婚すると、Kさんが設立した会社で財務を担うようになる。本拠地はITバブルに沸くアメリカ・シリコンバレー。プログラマーのKさんと公私でタッグを組み、新たなサービスを開発して大きく成功することを夢見て汗を流す毎日を送っていた。子どもはいない。

35歳で余命1年を宣告される

便通に異常を感じるようになったのはそんな多忙な暮らしをしていた2005年の夏だった。しばらくは重くとらえていなかったが、下腹部の違和感は次第に増していき、体重は6kgも落ちた。明らかにおかしい。年の瀬にさしかかり、アメリカでは保険に入っていなかったために受診をためらっていた病院に向かう。年明けに大腸の内視鏡検査を受けると、医師の口から「canser」と聞こえた。2006年1月17日、35歳での直腸がんの宣告だった。

腰を据えた治療のために夫婦で直ちに帰国を決意。すでに体調は、大雪のために遅れているフライトを待っている間に救急車を呼ばなければならないほど悪化していた。どうにか帰国して国立がんセンターで開腹手術を受けたが、転移が予想以上に広がっており、ほとんど何もできなかったという。麻酔から醒めたとき、ステージIVと知らされた。

<夜の回診でA先生が私の所に来た。先生に手術の結果を聞いた旨を伝え、正直なところあとどれぐらいなのかと尋ねた。すると先生が大きな声で「あと1年ぐらいは大丈夫だと思うんですけどねえ」と言うではないか。1年!!!!????そうか、そんなしか私は生きられないのか・・・。>
(2006年2月23日「余命1年の宣告」)

ブログをスタートしたのはそれから1カ月半が過ぎた4月初旬だ。父からもらった手紙に書かれた「おまえの生き様を、命をかけてブログに書いたらどうか。そうすればいつでもおまえの様子が分かるし」の一文がきっかけだったという。そこに、生き様をつづるだけに終わらせない決意も盛り込むことにした。

<このブログのタイトルを「闘病記」ではなく「復活の記録」にしたのは、私はガンで死ぬつもりはないからである。あくまでもガンを克服し、完全復活するまでの成功ストーリーの記録と思っているので、このようなタイトルにした。>
(2005年7月2日「このブログについて」)

トップページはKさんが取得したドメイン(mizuki.us)で作り、ブログ本体はFC2ブログの無料サービスを利用することにした。場が整って、これまでの経緯を過去の日付で次々とつづっていくと、同月のうちにリアルタイムに追いついた。

開設した直後のFC2ブログページ(INTERNET ARCHIVEより)
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