ロシアを積極的に批判しないアフリカの怨念 ロシアと中国はアフリカの真の独立を支援してきた

✎ 1〜 ✎ 76 ✎ 77 ✎ 78 ✎ 最新
著者フォロー
ブックマーク

記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
はこちら

印刷ページの表示はログインが必要です。

無料会員登録はこちら

はこちら

縮小

2022年6月に、セネガルの大統領がプーチンに会いにモスクワに出かけた。理由は、小麦を確保するためである。アメリカとEUによる厳しい経済制裁は、アフリカのような弱い国を直撃している。世界市場で小麦が高値でとり扱われれば、困るのはアフリカなどの国である。2008年のコメ価格高騰の際、一番影響を被ったのは西アフリカの諸国であったことは、まだ記憶に新しい。

セネガルといえば、西アフリカのフランスの旧植民地である。西アフリカの諸国は1960年代初めにフランスのドゴール大統領の政策で、植民地から独立した諸国である。アルジェリア紛争が混迷化していく中、フランスは植民地の独立政策を実行する。独立戦争が起こるより前に独立させ、フランスの支配を永続化させようという考えであった。

旧宗主国が偽りの独立を与えた理由

独立した西アフリカの国々は、セネガル、コートジボワール、中央アフリカ、ブルキナファソ、ベナン、マリ、ニジェール、チャド、カメルーン、トーゴなどである。これらの地域では、戦後すぐにドゴールによって、西アフリカ紙幣のCFA(アフリカ植民地フラン)が採用されてきた。そもそも一国の独立は通貨発行権、外交権、独立軍によって決まるが、通貨発行権は植民地から独立した後、現在まで失われたままである。さてこのアフリカ植民地フランとはどういうものなのか。

まず、この通貨の発行権はフランスにあるということである。そのため、西アフリカ諸国はフランスに、自分たちの外貨をすべて預託する必要がある。そしてこの通貨は、フランスのフラン(今ではユーロ)に交換率を固定されていて、国際的為替変動の影響を受けていない。これはフランスにとって極めて都合のいい話である。西アフリカは原料、燃料などの産出国である。フランスはこれらの国の通貨に対してユーロが優位を保つことで、安い価格で燃料や原料を独占的に確保できるわけである。

固定された交換率が変更されたのは、戦後2回だけだ。1945年当初、1植民地フラン=1.7フランスフランであったのが、1948年に1CFA=2フランスフランになり、1994年には100CFA=1フランスフランになった。現在はユーロであり、1ユーロ=655.957CFAである。植民地フランは、ユーロに対して極めて安く設定されている。

しかも、西アフリカ諸国は海外に輸出すればするほど、その外貨がフランスの中央銀行に自動的に入っていくシステムであり(最初は100パーセント、今では50パーセントをフランスの銀行に預託しなければならない)、その外貨はフランスという国家の重要な収入源となっているのである。

まさにこれは植民地体制そのものだが、これはアルジェリアのように戦って得られた独立との違いというか、その早すぎた独立による代償ともいえる。つまり、フランスは西アフリカの地域を独立させる代わりに、それまで投資した額の支払いを要求したのだ。その代償がこの植民地フランというわけだ。もしそれを拒否すれば、フランスが投資した学校も、道路も、病院もフランスにすべて没収されてしまうので、彼らは従うしかなかったのだ。

関連記事
トピックボードAD
政治・経済の人気記事