日本にいる「難民申請者」交流して見えた悲痛現実 6月20日は世界難民の日、知られざる日本の実情
品川入管に到着してすぐ、筆者は入管から彼に届いた文書に目を留めた。Julyとある。
「あれ、7月って書いてありますよ!」
呼び出し日は6月(June)ではなかった。1カ月間違えているようだ。筆者がそれを指摘すると、彼は書類を凝視した。
「July!」
天を仰いでいる。
「フランス語の6月(Juin)と完全に混合してしまいました」
彼は筆者との会話で英語を使うが、母国語はフランス語だ。同行していた支援者と筆者に向かって、彼は言う。
「2人ともお忙しい中、来てくださったのに、本当に申し訳ありません。本当に申し訳ありません」
彼は品川入管のエントランスロビーで頭を下げ続ける。緊張が解けて脱力したのか、ぼんやりと笑顔を作った。背中には、収容に備えて私物をまとめたリュックサック。といっても、数枚の衣類のほかは英語の書籍2冊ぐらいしか入っていないという。「成功者がたどる道は平坦ではない」ことを教えてくれる人生哲学の本だそうだ。
セバスチャンに初めて会ったのは2020年10月
筆者は2020年10月、初めてセバスチャンに会った。国内のある入管施設で収容されていた。
面会室で彼は祖国を離れた理由を説明してくれたが、事情を知る第三者から話を聞くといったファクトチェックはできない。そのため、彼の話をすべて事実としてとらえることは控えなければならなかった。ただ、難民申請者である彼が、入管収容所で無期限の拘禁状態にあることは明白だった。
難民申請者の置かれた境遇を調べるために、筆者はセバスチャンを追うことにした。週に1度の面会を続け、仮放免になって外に出て来てからも定期的に会って近況を聞いた。難民申請者とは何者か。何を見て、何をし、そして日本政府から何をされて何を感じているのか。
知り合いは日本に1人もいなかった。それでも、信仰を同じくする人々などとの交流を通して、少しずつ根を日本に張ったという。セバスチャンは筆者に対し、再三、日本で出会った人々の「やさしさ」を語った。そのやさしさが強調されればされるほど、入管制度の厳しさが際立つ。
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